ストローマン論法

相手の意見を正しく引用せず、捻じ曲げて引用し、それに反論するという論法。重要なのは、巧妙に関連する話題に論点をすり替えて、すり替えた論点を藁人形にして釘を打ち込む話法の事。

論破王」と呼ばれる人が、よく使う話法。

A: 「小学4年生のうちから学習塾に行かせるなんて反対だね」
B: 「なぜだい?」
A: 「4年生なんて、受験勉強なんてするよりも、もっと大事なものを学ぶことが大事じゃないのかな」
B: 「じゃあ君は、子どもの学習の機会を奪うことが正しいというのか?そして、その結果、子どもの人生が大きく歪められることになっても仕方ないという意見なんだな。そんな意見には賛成できない」

「受験勉強よりも大事なことがある」から「学習機会を奪う」として攻め込む。例はたくさんあるようです。

「男たるもの、家族の人生に責任を持たなくては」
「じゃあ、君は、女性は家族の人生に責任を持たなくてもいいというのだな」

「男たるもの、家族の人生に責任を持たなくては」
「家族の人生に責任を持っている女性の立場をどう考えているんだ」

「正社員の『過剰』保護には反対だ」
「正社員の雇用に手をつけるべきなんて、解雇規制を緩和しろというんだな」

相手がストローマン的な引用をした時には、すぐさま指摘しなければならない。指摘をしないと、自分がその間違った引用を認めてしまったと周りに受け止められてしまう。

このような論点ずらしを意図して使うなら「詭弁」という。意図せずに使うなら「誤謬」という。

どちらにしも、ストローマン論法を使う相手に出会ったら、言い合っても時間と労力の無駄になるので「言ってることが分からない」といって、距離を置くことがいい。

このように、議論している話題と巧妙に無関係な話題を持ちて出し相手をやり込めようとするのもストローマン論法である。

議論などは、とどのつまり、ドーパミンのなせる技でしかなく、議論することに価値があることは少ない。MCと言われる人や歯科医と言われる人が、その辺をうまくジャッジして議論の論点をずれないようにコントロールすることができれば、議論を深めることができるが、テレビでの議論はむしろ、対立を「ショー」にしようとするから見るだけ時間の無駄な番組が多い。

自分のささやかな人生の経験からいうと、優秀な人間はおよそ言葉が少ないものだ。言葉が多い人間は、優秀だと思っているのは当人だけのことが多い。例えば政治家。中身などなくても言葉だけは巧みでないとなれない職業であることに、民主主義の限界がある。