三つの願い事
「三つの願い」と検索すると、洋の東西を問わずにいくつかのお話が見つかります。
フランスのお話では、木こりが神様から3つの願い事をかなえてあげると言われ、家に帰って「あ~。ソーセージをおなか一杯食べたい」というと、ソーセージが出てきます。これで願い事が一つかなえられてしまいました。そこで奥さんが怒ります。で、旦那の木こりが、「そのソ-セージをカミさんの鼻につけてしまえ」というと、奥さんの鼻にくっついてしまいます。
これで願い事は2つ使ってしまいます。そこで、最後の願いとして、奥さんの鼻についたソーセージを外してもらって夫婦でソーセージを食べるという話です。
願い事など無いままの状態が、その夫婦にとって幸福であるということ。とはいえ、ソーセージは手に入れました。
日本の昔話では、自分の母親の病を治してもらおうと山の神様にお願いに行きます。途中で庄屋さんや友達や、沼の蛇が神様に願いを届けてほしいと言いました。山の神のところにつくと、庄屋の願い、友達の願い、そして蛇の願いを神様に伝えると、それぞれに答えをもらえました。
が、自分の母の願いは4つ目になるのでお願いできませんでした。しかし、蛇に神様の答えを伝えると金の塊をくれたし、友達に神様の答えを伝える大判小判の壺が出てきて1つもらえた。庄屋に神様の答えを伝えると庄屋の娘を嫁にくれた。家に帰るとお金持ちになって、庄屋の娘も嫁に来てくれたので母親も元気になって幸せに暮らしたそうだ。
日本の昔話では、自分の母への願いよりも他人の願いを優先したことが神様から評価され、金持ちになることで病気も治ってしまうほど幸福になるという話。
芥川龍之介の「杜子春」では、杜子春が無一文で途方に暮れていると仙人が金銀財宝のありかを教えてくれる。杜子春が金持ちになるとたくさんの友人ができて、毎日どんちゃん騒ぎをする。しかし、お金が無くなると誰もいなくなってしまう。
その虚しさから、仙人に弟子にしてほしいと願う。仙人は杜子春を山の奥に連れて行き、絶対に声を出してはいけないという。そこに魔物が現れ、杜子春の両親を馬に変えてひどい目に合わせるのを見ていられなくなって「お母さん」と声を出してしまう。
と、そこに仙人が現れこういう、「もし、自分の母がひどい目にあわされても声を出さなければ、お前を殺してしまおうと思っていた」といって、杜子春に山奥の家をくれて仙人は姿を消すという話。
人間にとって一番大事なものは「母」であるという話。
ラ・フォンテーヌの寓話にも似た話があります。妖精が3つの願いをかなえてくれるという。そこで金持ちにしてほしいと願うと、大金持ちになる。しかし、金持ちになると借金の申し込みや泥棒に狙われたり領主から税の取り立てがあったりでうんざりしてしまう。
そこで、2つ目の願いで元に戻してもらう。そして3つ目の願いとして「知恵」が欲しいという。知恵こそが人間にとって最良の財産であるという、ありがたいお話。
戦争に負けてどん底に落とされた日本。誰が誰に頼んだかはわからないが(おそらく、池田勇人じゃないか)、戦後の窮乏から一転して大金持ちの国になった。それを誰が嫌がったのかはわからないが(日銀総裁の三重野康さんかも)バブルが崩壊するとデフレに落とされ30年間も成長しない国になってしまった。
そこでお願いしたのが「不老長寿」であった。それはまさに成就され少子高齢社会が実現したが、不老長寿よりも「知恵」を願っていれば、もっとまともな政治になり、もっとまともな経済であったはず。
その証は、地方も国政も政治と役人の低能ぶりを見れば明らかである。