日本企業の「最新技術なら勝てる」という勘違い
日本が凋落しだしたのには原因があります。人口が増えて、消費が増えて生産量が増えて、土地の値段が上がって、給料が上がってといいことづくめでした。
それが終焉すると、いきなり「失われた30年」になりました。2024年から30退くと1994年。平成6年だそうです。6年が半端になるので平成から停滞がはじまったこととしましょう。
「失われた30年」で検索すると、その原因について書かれた記事は山ほど出てきます。
思えば、昭和の時代になりますがNECがPC98というパソコンを出しましたが、これもいつのまにかパソコン自体はWindowsが動けば、後は性能だけの選択となっています。もちろん、国産で頑張っている企業もありますが全く新規性はないので、単なる価格勝負なら勝ち目はありません。
携帯と言われた時代には、メーカー各社がこれでもかと機能を争っていましたが、結果として共倒れになり、iPhoneかAndroidかの2択になり、Androidはメーカーが各社参入しているので、多少は違いがあるのでしょうけれど基本は同じで性能が価格の裏付けになるようなことになっています。
あれだけシノギを削っていた国産メーカー各社は、どうしてしまったのでしょう。ソーラーパネルも同様です。液晶画面も同様。そういえば、その昔は、ICチップでは世界を凌駕していたはずなのに、いつのまにか台湾企業の進出を喜ぶざまになっています。
テスラはパナソニックに電池の製造を依頼したかったようですが、価格で折り合わなかったのか生産量で折り合わなかったのかはわかりませんが、テスラは中国企業を選択するに至っています。
仮に日本企業が提供する技術が秀逸だったとして、その技術が消費者が求めている性能と価格に収まるかが重要なポイントになります。まして、日本では少子化が急速に始まり、同時に高齢化も進行していくとすると、消費は激減してきます。となれば、国外を目指すことになりますが、そうなればアジア全域、アフリカ、南米などを目指さなくてはなりません。
そうなればまずは「価格」「堅牢性」が最優先になってきます。「技術」「品質」は2か3くらいの次になります。
「技術」「品質」と二言目にはこだわりを示しますが、かといってAppleやGAFAのようなイノベーションが起こせるわけではない。ICでは台湾や韓国の後塵を拝することろまで成り下がった。
さて、そんなことは単なる事実でしかありません。この単なる事実は企業経営者の判断ミスか? 通産省などの国の判断ミスか? はたまた愚劣化している日本政治の低能な介入による帰結なのか?
どうも、この3つが相乗的に組み合わされているような気がします。
石丸伸二がいいか悪いかではなく、東京を変えるチャンスがあったにもかかわらず300万都民は変化を拒みました。これからすれば、いつ国政選挙があったとしても変化は起きないでしょうし、政権交代が起きたとしても、今以上に悲惨なことになるでしょう(ということは、総統に悲惨なことになる)。
政治こそが日本を変えることができるのですが、「失われた30年」が40年、50年になっていくだけでしょう。結局、政治が社会を変えるのではなく、有権者が変えるのだということです。政治や国家が劣化しているのは有権者に原因があるわけですが、これが民主主義の本質なのだと言えそうです。
民主主義の行きつく先を示しているのが国連じゃないでしょうか。