「カムイ伝」から考える身分

日本社会における被差別民の本を読んでいたら田中優子女史の「カムイ伝講義」という本をみつけ、図書館から借りてきました。冒頭、少し読んだら白土三平の「カムイ伝」を見たくなり、図書館から借りてきました。

第1巻が1,492ページもある大作ですが、実によくできている漫画だと感心しています。「穢多」を「非人」としていますが、江戸時代には非人と穢多は、身分として分離していたはずですが、「穢多」という言葉を使いたくなかった配慮によるのでしょう。

主人公のカムイは、名前はアイヌっぽいですが漫画では非人で、実態は穢多の子です。穢多の起源については「なるほど」といえるような明確に書かれたものをみたことはありませんが「仏教」と「武具」が関係していることが想像されます。

今昔物語にも、死体をお寺の門に放置し、そこへ死穢を取り除いてあげるから、それまでこの寺から出ているようにいわれ、住職たちがキヨメられたころに寺に戻ると金属製のものなどがそっくり盗まれていたというような話があります。平安時代の寺では死穢を嫌気していたことが分かります。現代の仏教では、葬式と墓が主たる収入源のようで、今とは大きく違っていることが分かるエピソードです。

武士が台頭してくると彼らの武具を作らなければならず、プラスチックなどがない時代は木か革を加工する以外になかったわけです。皮を加工するとなると、死に牛馬から皮をはぎ取らなければならず、加工の過程で水が必要になることから川のそばに居住することになるわけです。

204ページに、差別が起きる背景として、結局は支配者の利益のために身分を作り社会を分断させることを仕組み化しており、結果として人々は歴史を逆行させようとする支配者の権力を支えることとなっていると糾弾しています。

265ページにいいことが書かれていました。人間が生産力を身に着けることで共同作業をするようになり、それを束ねる人材が登場してくる。貧富の差が生まれ豊かなものは貧しいものを支配することでますます豊かになる。構図とすれば武士が百姓を支配するようなことになり、支配の裏付けとして武力が必要になってくる。

年貢として5公5民で考えると1割しかいない武士が5割のコメを所有し、9割を占める百姓が5割を分けることになっていた。代官所からの呼び出しに、若き渋沢栄一が父親の代理で代官所に行った所、代官の娘が結婚するからということで上納金を要求されることから義憤に駆られ、そこを原点として彼の行動が始まります。

戦乱が収まった世の中では武士は不要、というより無用になっていたことを誤魔化しきれなくなったのが幕末であったわけです。

302ページには、貧しい社会では、小さな夢のためには大きなことをしなければならない。差別のような社会の最底辺に置かれた人々がそこから抜け出すためには個人として飛躍する以外に方策はなかったとしています。つまり、カムイがこれから飛躍していくということと思います。

512ページには、よどむことで汚物と腐敗がある。社会のよどみは貧困(格差)を生む。よどんだ社会における「正義」とは、泥水で洗い物をするようなものであると書いています。太平の世の中が続くと権力社会は必ずよどみます。

自民党政治とそれにぶら下がるヒルのような官僚機構も太平の帰結として汚物と腐敗にまみれだしていると言えそうですが、清廉な権力が誕生したとしても、それは時間の中で必ずよどむのが権力の宿命なのでしょう。

それを食い止める手段として有効なことは権力を拮抗させることに尽きるでしょう。有権者が賢ければの話ですが。

有権者が愚かである限り、権力者にとっては太平で、よどんだ世の中であり続けることとなります。

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