ケンカとボクシング

殴り合いには大きく分けて「ケンカ」と「ボクシング」があると思います(空手もあるけれど、とりあえず)。

ケンカだと、蹴ったり棒を使ったりできるので、ボクサーとの勝負ではどちらが勝つかはわかりませんが、単なる殴り合いならボクサーの方に利があるように思います。

ボクシングはスポーツなので、訓練もあればルールもあります。

かたやケンカは度胸と慣れ。

殴り合いのことではなくて、例えば政治。政治には理論があるし、法律を作るわけだから法体系を熟知していなければならない。また、行政を司るわけだから、行政に関する専門知識は不可欠になる。

ところが、政治家を何年かやっていると、「慣れ」によって、それらしいことをまことしやかに話せるようになります。

官僚に好かれる努力をすれば、官僚がサポートしてくれるけれど、そこでバーターが生じます。

ここでいいたいことは、ボクサーになるためには過酷な訓練と適正がなければ勝ち上がることはできません。かたや政治家が選挙で勝ち続けるためには専門知識も適正も不可欠な要素ではないようです。

不可欠な要素は「票田」と「」。

なかには適正があった政治家もたまにはいるのかもしれませんが、かといって、官僚と渡り合って押さえつけるだけの力量を身に付けるのは容易なことではないでしょう。

結局は「権威」のない政治家は「権力」で押さえつけることとなり、結果として官僚を意のままに使いこなすことは難しくなります。従順なふりをして最低限の努力しかしなくなるでしょう。

権力」を行使しなければ「忖度」でにじり寄ってくる。「忖度」という飴をしゃぶれば加計・森友・桜を見る会のような体たらくとなります。

要するに「慣れ」で一人前のつもりでいる政治家ではなく、訓練と知識と適正と人格を備えたプロの政治家が登場しなければならないところへ、今の日本は間違いなく来ていると思うのですが選挙のたびにレベルが下がってきている気がします。

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