コメンテーターは異なる意見を言うのが仕事

ヒロユキと言うテレビ・コメンテーターが沖縄の基地反対のための座り込みにチャチャを入れて物議をかもしています。ちょっと前には爆笑問題の太田というお笑い芸人が統一教会で物議をかもす発言をして騒ぎになりました。

これらを考えてみると、コメンテーターとしての役割を持つ人々は、世間一般の人々や同席する専門家などのコメンテーターと同じ意見なら、起用する側のメディアからすれば利用価値がないわけです。

人と違う意見をいうから、議論がかき混ぜられて見ている視聴者に興奮を与えられるわけです。

元国会議員でテレビタレントの杉村太蔵と言う人は、事前にディレクターから役割を指示され、出席者の意見をかき混ぜる立場から軽薄な意見を言うような任務を与えられていて、それに応じたことができるから使い続けられているのだそうです。

テレビも新聞も、結局は国内、国外で何も起きなければニュースにこと欠くわけです。

それがどれだけ悲惨であっても、事件が起きないよりは起きたほうが嬉しいかはわかりませんが張り切ることができるわけです。挙句に専門家以外にタレントのコメンテーターを呼んでにぎやかしができればコマを埋めることができるわけです。

彼らの業界では「」と言うらしいのですが、尺が埋まればいいのがメディアなわけで、すべては「虚構」のなかにところどころに「マコト」があるわけで、そのまま真に受けてはいけないようなものになっている気がします。

テレビ朝日の玉川と言う社員が安倍さんの国葬で菅さんが読み上げたスピーチにチャチャを入れたところ、思いのほか騒ぎが大きくなったのは、菅さんを揶揄したことよりも「電通」の名前を出したからだと思っています。

菅さんのスピーチを聞いたわけではないのでとやかくは言えませんが、官房長官・総理大臣時代の話しぶりからして彼が感銘深い演説をするとは、とても考えにくい気がします。当然ですがスピーチライターが原稿を書いていることは自明で、国葬のすべての演出を「電通」が担っていることも事実と思います。

その玉川さんに対して、芸人やらタレントやらがどうこういうことを、またまたメディアが取り上げるのもどこまでが本心で、どこからが演出なのかは全く分かりません。

NHKの朝ドラで、いかにも若者が書いた風な意見(反省会というらしい)が、これまたネットのニュースなどで取り上げられますが、これとてライターが、その筋から頼まれて書いているか、場合によってはADが書いているような気もしています。そんなわけで、不幸な事件が起きるとメディアはハリキリネタができたことで勇んでいるのだと思うとやりきれなく感じることもあります。

紀元前4世紀の荘子は「文明が発達すると同時におのずから文明の中で痴呆化していく」と言っています。まさにテレビも新聞もSNSもネットのニュースもメディアという文明が率先して痴呆化していき、それを見ている人々も痴呆化していくことで、メディアは痴呆化した視聴者に迎合するために更に率先して痴呆化するという痴呆化のスパイラルに対して痴呆化したスポンサーが莫大なお金を提供している象徴が「電通」なのでしょう。

そんなことを凡愚がブログに書くことも痴呆化している所以です。

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