大鏡:其05《帝紀-光孝天皇》

第58代 光孝天皇(830-887)

第58代天皇。第54代の仁明天皇の第3皇子で、第55代文徳天皇の弟になる。生母は藤原総継の息女の藤原沢子。その後、清和、陽成と文徳天皇の皇統が続くが53歳にして一品に昇進し、55歳で天皇に即位(今のところ天皇即位最長齢)する。

藤原良房の子は明子しかおらず、良房の兄の長良の子の基経を養子にする。この基経と同母妹が高子で、この高子と浮名を流したのが在原業平である。この話は「伊勢物語」に詳しい。基経がいくつの時に良房の養子になったのかは不明であるが、基経と国経が業平から高子を奪還する。基経と国経は父を同じくする兄弟であるが、基経が良房の養子になることで、その後の権力には大きな違いが生まれる。

基経が藤原家の氏の長者となり摂政関白となることで、基経の子の時平が本流となる。基経の兄の国経には若くて美しい夫人がいたが、基経の子の時平が引き出物として自分のものとしてしまう話が「今昔物語」にも「大鏡」にも書かれている。谷崎潤一郎は「少将滋幹の母」という小説を書いており、滋幹の母が、その若くて美しい国経の夫人であった。

その夫人は高子と浮名を流した在原業平の孫とのことである。土産として連れ帰ってから、時平との間にも敦忠という子をなしている。この敦忠のことも「大鏡」に触れてある。彼は和歌の名人で音楽も優れていた。宮中で音楽の催しがあるときなどは、老人たちは敦忠が存命だったらと嘆いたとか。

この敦忠のことも谷崎潤一郎は「少将滋幹の母」の中で登場させている。

光孝天皇に話を戻すと、55歳にして即位した背景に、基経が実の妹が生んだ陽成天応を廃帝にし、陽成天皇の祖父の弟であった時康親王を光孝天皇として即位させているのは、基経と高子に確執があったからとされている。

光孝天皇は、清和天皇の系統に皇統を戻すだろうと考えて、自らの子をすべて臣籍降下させている。光孝天皇の次代の宇多天皇も、臣籍降下して源定省(さだみ)として、陽成天皇の臣下となっていたが、皇族に戻って天皇に即位している。

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