「少年時代」から連想したこと

iTunesでランダムに音楽をかけています。たまたま井上陽水の「少年時代」がかかりました。映画の「少年時代」は藤子不二雄の原作で藤子不二雄が戦時中に疎開した富山をモデルにしているとのことですが、後味は決して良くなく、しかもえてして一般的な人間にありがちなことが描かれていると思いました。

自分が少年だったころとして「少年時代」から即座に思い出すのは「ハックルベリー・フィンの冒険」です。1885年に初版が出版されているそうです。日本式に言うなら明治16年。ヘミングウェイに言わせると、

あらゆる現代アメリカ文学は、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィン』と呼ばれる一冊に由来する。……すべてのアメリカの作家が、この作品に由来する。この作品以前に、アメリカ文学とアメリカの作家は存在しなかった。この作品以降に、これに匹敵する作品は存在しない。

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ということで、もう一度読まなければと思っています。

トム・ソーヤーの冒険」や「ハックルベリー・フィンの冒険」を書いたマーク・トゥエインの「不思議な少年」も似たようなものと思って読んでみたら、同じ作家が書いたとは思えない内容でした。

まず、背景がヨーロッパになります。なぜ、ヨーロッパかと言うと「悪魔」が登場するからです。そして「悪魔」が最後に言います。

「人間の存在なんて一片の思惟にしか過ぎない。僕(つまり、悪魔)も存在しちゃいない。つまり、君の想像が作り出したものにしか過ぎない。君が僕を追い出せば、僕を作り出してくれた虚無に戻るだけだ。神がいるならすべての子供を幸福にしてやることだってできたはずだ。天使たちには永遠の幸福をくれてやりながら、はたから地獄も作っている。人間を神が作ったなら、人間が邪悪なことをする責任は神にあるはずだ。つまり、こんなばかばかしいことがまかり通っているということは、現実とは単なる夢だからだ。神も悪魔も存在なんてしない。存在するのは君という思惟だけなんだ。」

これも「少年時代」という思惟の一コマでした。

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