荘子を考える:逍遥遊《其の01》

荘子の超越とは絶対自由な精神の世界に生きることを目指す。それは我と彼が一つであり、是と否が一つであり、可と不可が一つである世界を真実とすること。それは実在への渾沌であり、実在とは「生きたる渾沌」のこと。生きたる渾沌を愛でることこそが自己の解放になるとした。

なまじな分別や知性があるために世界を是と否、美と醜、賢と愚、夢と現実、大と小、富と貧に分けていくが、実在とは是もまた否であり、夢もまた現実である。生を与えられればたくましく生き、死を与えられれば安らかに死に、夢を与えられれば夢を楽しみ、与えられた必然を好として肯定する自己は、もはや単なる必然ではなくなる。

現代人は「単純」の偉大さ、「素朴」の強靭さを忘れ果てている。あるがままを受け入れる「自然(自ら然ること)」を失い果てている。

荘子の年代は明らかになっていないが、司馬遷の「史記」には、荘周について西暦前4世紀中頃の人と書かれている。アリストテレス(前384-322)と同時代になる。紀元前370から300年頃の70、80歳くらいの人生だったことが推定される。

荘子が生きた紀元前4世紀の中国の時代は「戦国時代」と呼ばれ、闘争と殺戮を繰り返していた時代である。これらの国にとって重要なことは「国を富ませること」と「兵を強くすること」で、権力はそのために狡智の限りを尽くしていた。人の生活は闘争と殺戮、凌辱、飢餓、流亡に翻弄された。「人間として生きることは悲しむべきこと」と嘆かせた社会不安と絶望がまん延していたのが戦国時代であった。

前者には人間の無力と理想の儚さに対する虚しい凝視があるが、後者には人間の力に対する確信と期待が、それを可能にする政治的現実に対する希求があった。

宋の文化に通底するのは、暗い谷間に(たたず)むしめやかな慟哭と憤りがあり、周の文化には陽の当たる丘を目指す輝かしい理想があった。

荘子にとって人生とは直線で理想につながるものではなく紆余曲折を前提とする曲線的なものであった。幸福とは裏返った不幸であり、喜びは覆された悲しみであった。「失う」ことなしに「得る」ことは考えられず、「滅びる」ことなしに「(ながら)える」ことが考えられなかった。「死ぬ」ことなしに「生きる」ことが考えられず、「無い」ことなしに「有る」ことが考えられなかった。

「道理」は、体得することに意味を持つ。ここに「禅」との緊密な精神世界へのつながりを見出すことができる。

老子と荘子は、春秋戦国のほぼ同じ時代を宋の文化圏を背景に同じような思想的基盤の上に立っているが、老子の思想は「処世の知恵」「現世的な生」であるのに対し、荘子の思想は「解脱の知恵」「絶対的な生」であった。

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