賢人の警鐘《村木厚子さん》

日経ビジネス2023.2.27号に掲載されていた表題の記事を先輩からコピーしてもらいました。

お題は「再犯者率が高い日本出所者の社会復帰促す仕組みづくりを」でした。

2009年にありもしない事件を捏造されて大阪拘置所に160日も拘置されたことによって、犯罪者に対する視野が広がったようです。国家のお詫びだったのか、その辺の事情は不明ですが、釈放後、見事厚生労働省の事務次官に栄達されました。

刑法犯の検挙数は減少しているにもかかわらず、再犯率が高いことは刑事政策の失敗だとの厳しい指摘。

読売新聞 2023/02/02

昨年1年間の刑法犯認知件数が前年比5・9%増の60万1389件となり、20年ぶりに増加したことが警察庁の犯罪情勢統計(暫定値)でわかった。

村木さんの再犯の指摘は、記事の冒頭にあるように寒くなると微罪を犯して刑務所に戻って春を待つような再犯者がいることに対して刑事政策が敗北しているという指摘です。

まず、考えられることとして「社会が前科者を受け入れない」という厳然たる事実があると思います。

再犯防止推進白書にリンク

「愛国教育」同様に「前科者受け入れ教育」のような、社会的な容認意識を高める必要があるでしょう。

一般的に社会が前に向かって進んでいる時代は犯罪が減るように思えます。同様に、犯罪を犯してしまったものを受け入れる社会であれば再犯率を減らせるように思います。

この両者において国家の役割は少なくありません。子供を支援するのもいいし、防衛にミサイルをアメリカの言いなりに買うのもいいとして、刑事政策のような社会の底辺を底上げするような政策(票につながらないから政治家が好まないテーマ)にも真剣に取り組んで欲しいと思います。

私見

村木さんの指摘から逸脱しますが、厳罰化や仮釈放についての私見です。

仮釈放中に事件を起こせば、社会は「なぜ満期まで拘禁しておかないのか」というわけですが、満期で社会に復帰するのと、仮釈放で社会に復帰し社会内で残りの刑期を問題を起こさずに過ごすのとでは大きな違いがあると思います。

「懲役」という名称を変えようという動きがあるようですが、「役をもって懲らしめる」かは別として刑事施設内に「拘禁」することが犯した罪への代償としての最大の役割であり、懲らしめなわけです。「善良な人間に生まれ変わること」は刑罰には含められてはいませんし、そのようなことを煎じ詰めれば「カッコーの巣の上で」になってしまいます。

仮釈放制度は、少なくとも残りの刑期を社会の中で「善良な人間」として過ごさざるを得ないわけですが、親兄弟親類との関係や、世間の受け入れとの関係の中で、残りの人生を過ごすことに対して、社会と前科を持つ人間だけの責任にしている国家にも、再犯率上昇の責任があると思います。

2004年に刑法が厳罰化され、それが社会の安寧に対してどれだけの効果を持ったのかに対しても、何ら説明がされていませんが、こうしたことも刑事政策としての怠慢があるように思います。

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