音も無く

「音も無く」というのはお酒の名前です。

大先輩から頂戴いたしました。さっそく飲みました。ちょっと辛口気味ですが、濃厚な味わいで上品なお酒です。

キャップのところも結構は気配りがされています。包んでいる透明のビニル袋も紫外線を通さないような袋だそうです。その袋には「PARIS」と書かれたメダルのような格好のシールが貼ってあります。

日本酒がパリでメダルもらったからと言って「それがなんだ」という感じではあるのですが、大向こうを狙ったマーケティングで市場拡大をしようという意欲は評価すべきでしょう。

「瀬戸酒造店」という酒造所で作っているお酒ですが、慶応元年の創業で1980年に自家醸造をやめて2018年から再開したとのことです。ネットで調べていたら、コンサルタントが入ったかファンドが入ったかで、経営戦略を大きく変えたかのような記事もあったような気がしますが、探しても見つからないので真偽は分かりません。

ホームページは少し凝りすぎで、表示に時間がかかるのも少し苛つきます。お酒の名前も凝り過ぎている感じがします。ネーミングは「直球」というよりは「魔球」狙いのような感じで、何かを伝えたいというよりは奇を衒う感じが先行しているようにも思います。

若いころ、訳も分からずに銘酒屋で吟醸酒などを飲んでいた時代もありましたが、お酒(特に日本酒)の飲み方は普通のお酒をお銚子とお猪口とで気の合った仲間とダラダラと飲み交わすのが真骨頂で、甘すぎず辛すぎないお酒であれば銘柄はどうでもよくなりつつあります。

わたしの場合のお酒の楽しみ方は、誰と飲むかが一番重要な要素で、たわいもない話をして酩酊するのが楽しいので、銘柄や吟醸とか大吟醸というような要素は二の次、三の次でしかないのが最近の飲み方です。

銘酒屋

銘酒を売るという看板をあげ、飲み屋を装いながら、ひそかに私娼を抱えて売春した店。現在のピンクサロンに相当する。明治時代から大正時代、東京市を中心にみられた。
1892年(明治25年)・1893年(明治26年)頃から、銘酒屋と書いた軒燈を掲げるようになった。日清戦争後から日露戦争の頃にかけて、浅草公園五区(奥山地区)、公園六区、浅草千束町(旧町名)に発展し、明治末から大正初期がその全盛期であった。

wiki

とあり、うかつには「銘酒屋」と呼ぶのははばかりがありそうです。

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