20年ひと昔

今から20年目と言うと、西暦で言うと2000年。そのあたりに生まれた人は成人しているということになります。

そのころ、スマホは無くて「携帯電話」でした。その「ケータイ」でかなりの人気を博しているコミュニケーション・サイトが立ち上がりました。

日記や掲示板、レシピ、アンケートなど、登録ユーザーが遊ぶには内容が充実していたサイトでした。今とは全く文化が異なっていたのだと思いますし、ともかく携帯という、あの使いにくい道具であったにもかかわらず、日増しに登録ユーザーが増え、掲示板への書き込みもどんどん増えていました。

そのような「ケータイ」文化を白書化した本があって、それを眺めていますが、隔世の感があります。今でもあるのかはわかりませんが、昭和の時代に「ペンフレンド」というのがあって、行ってみたい遠くの地の住人に手紙を出すと返事が来るような、仕組み的には戦前っぽいコンタクト手段がありました。

それが2000年にはケータイが代替するようになり「未知なる相手に電子媒体を使ってコンタクトしようとする意欲」が感じられるとコメントされています。

掲示板などで使われている語彙などの分析も書かれていて、書き込み内容として「知的爆発」よりも「感情的爆発」の要素が感じられると論評されています。

そのサイトを論評している識者のキーワードは「公共性」、「雇用」、「資格」などを主催者として責務とするべきと主張しています。

翻って、現在のスマホ時代において「SNS」にはあまり見かけられない機能ですし、ビジネスシーンで使われる様々なツールにも、あまり発想としてはなさそうですが、重要なポイントとして「ケータイ文化」にはあったようです。

爆発的なアクセスと書込みを支えたものは、サイトが提供していた各種の利便だった部分もありそうでしたし、不特定多数に対して自分を表現することができている(読んでくれている)ことから得られる満足感などもあったことでしょう。mixiなども「足跡」などという発想にもつながることと思います。

しかし、2007年に「iPhone」が登場することで、日本発の「ケータイ文化」は消失してしまいました。

そもそも、「ケータイ」で文化が構築できると思い込んでいたときに、ジョブスは「iPhone」の発表で「アップルが電話を最発明します」としてスマホを世に出しました。その前にも「iPod」と言う日本人からすればカルチャーショック級のプロダクトをリリースしています。

言っても始まりませんが電話屋のdocomoが携帯でインターネットができるようになった時の名称が「iMode」だった時点で負けは決まっていました。

ケータイのコミュニケーションサイトの盛りだくさんの機能と、昨今の世界戦略のSNSの違いに戦略の違いが明確に表れているわけで、この違いが「賢さ」の違いなんだろうと痛感せざるをえません。

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