「てんまる」はいつから使うようになったのか

日本では中世以前、正式な文書は漢文で書かれていたので、中国と同様であった。中世以降、仮名書き文や漢字仮名交書き文が普及したが、草書体から発展した平仮名での筆記は、文章の区切りごとに繋がって綴られることが多く、また語頭とそれ以外で仮名を使い分けたり、漢字と仮名を交ぜ書きすることによって、ある程度句読点に相当する機能を果たしていた。

近代に入って活字の使用が増え始めると、明治20年代から明治30年代以降、日本語での句読点の使用が徐々に現れはじめた。この頃、芥川龍之介は「僕等は句読点の原則すら確立せざる言語上の暗黒時代に生まれたるものなり」と書き残している。句読点の置き方の標準がはじめて公的に示されたのは、明治39年(1906年)の文部省大臣官房圖書課の「句読法案(句読点法案)」である。

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ということで、「てんまる」が正式に決まるのは明治39年になるようです。だから、樋口一葉の「たけくらべ」や「にごりえ」では、句読点が異様に少ない文章でしたが、基本的には五七調で書かれているので、読点が無くても何とはなしに読むことは出来ます。

結局は明治になって西洋文化が入ることで、欧文の読みの読みやすさの影響を受けたと予想されます。文字の手本となった中国では戦国時代(紀元前5世紀ころ)には句読点相当の記号があったようですが大部分の書物には採用にならなかったようで、1919年になって正式に交付されたとwikiに書かれています。

おめでたい文章には「句点」をつけないのは、おめでたいことに区切りを付けないということからだと書かれていますが、そんなことは「いいがかり」に近い屁理屈で、文章は読みやすさをもって良しとするべきと思います。

「句点」は、文末に付ければいいのですが、問題が多いのは「読点」になります。いくつかのルールを事細かに書いてあるものも散見されますが、それを読んだところで覚えられるわけではないので、多くの文章を読むことで、読みやすさ、読みにくさを感得するのが一番よさそうです。

文章は、日記はともかくとして読まれることを前提とするべきですので、読み手に取って楽に読めるような配慮を心掛ければ、自ずから判明してくるように思います。基準は「多すぎず、少なすぎず」になると思います。

面白いのは文学作品の初版本などを見ると、明治の中期から後期にかけて句読点が普及していたようですが、新聞で句読点が使用されるようになるのは戦後からだそうです。