教養 de お役立ち
弥生から明治までの生活痕跡が残る遺構発見

先日書いた「エタの源流」に登場していた「佐比里(さいのさと)」すなわち「賽の河原」から7キロほど南西に川を下ると宇治川と木津川が合流して、淀川になります。 桓武天皇が奈良から出てきて作ろうとした都が「長岡京」になりますが […]

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日本に科学を導いた志筑忠雄という人

志筑忠雄は宝暦10〈1760〉年-文化3〈1806〉年、長崎の蘭学者。当初はオランダ語の通訳をしていたようで、蘭書の翻訳に身をささげた。著述の半分近くは西洋天文・物理学関係の蘭書からの訳出で、「真空」「重力」「遠心力」「 […]

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後藤新平から見る明治という時代

後藤新平は1857(安政4)年に生まれて 1929(昭和4)年に亡くなっています。台湾総督府民政長官。南満州鉄道(満鉄)初代総裁、逓信大臣、内務大臣、外務大臣、東京市第7代市長などを歴任しています。 東京市長時 […]

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「Intelligence Bulletin」1942年10月号

アメリカ軍は、この情報誌を1942年から46年まで発行していた。可能な限り最新の情報源から得た情報に基づいて敵の戦術や兵器を掲載している。 日本軍は日清日露、第一次世界大戦を経験して総力戦、物量戦を経験したはずで、「持た […]

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藤原道長の話

道長には、ほかにもいたのでしょうけれど主たる妻が二人いたこととなっています。 一人が源倫子という、こちらが正室。結婚したとき24歳で道長が22歳だった。 彰子:一条天皇の皇后頼通:関白摂政妍子:三条天皇の中宮教通:太政大 […]

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支倉常長の手紙

支倉常長は1571年に生まれて1622年に亡くなっています。伊達政宗の命により600石取りとなる。文禄・慶長の役で朝鮮に渡海したという記録がある。 1609年にロドリゴの一行が台風により上総御宿に座礁し、家康が船を造って […]

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「米欧回覧実記」から見えること《その2》

遣欧米使節団がサンフランシスコからワシントンへ向かったのが明治4(1872)年の12月だった。大雪のロッキー山脈を越えてソルトレーク、オマハを経てシカゴに着く。シカゴが市になったのは1837年のことで彼らが着く40年ほど […]

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ちょっと、中江兆民

明治6年、岩倉使節団は帰路に着く。マルセイユから紅海、インド洋、東シナ海、中国に立ち寄りながら1年10ヶ月の旅を終えて帰国した。 欧米は文明の先進国であったはずであるがアフリカ、インド、アジア、中国における「白皙赤髯の航 […]

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東京の歴史

先史時代 先史時代の遺跡から黒曜石で作った石器が見つかっている。黒曜石は伊豆の神津島が産地として有名で、関東に広く流通していたとあるが、誰がとってきて、誰が加工して、何を目的に流通したのかは解説が書かれていない。 古墳時 […]

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道長死す

永井路子の「望しは何ぞ」でついに道長が死んでしまった。 藤原道長が死んだのは1028年1月3日と記されている。生まれたのが966年だそうだから享年62歳。藤原貴族の栄華の頂点に立つ男であった。 この世をば 我が世とぞ思ふ […]

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