「オフレコ」と「オンレコ」を考える

「オフレコ」で話したことが表に出てスクープとなることをどのように考えるか?

オフレコには種類があるようです。

  • 取材は受けてくれるがコメントはすべてオフレコ
  • 取材自体ないものにする場合
  • コメント掲載は可だが、匿名を求められるケース
  • インタビューの途中や終了後に「このコメントはオフレコで」と言われるケース

この識別はどの時点でやるのかは不明ですが、インタビューする側が弱ければ、必ず遵守しなければ出入り禁止になる可能性は高いようです。特にフリーランスの記者はオフレコには注意を払うようです。

首相秘書官の差別発言に関しては、発言はオフレコの中で行われたようですが、謝罪は公開で行われたからオフレコとオンレコの中間くらいの認識のようですが、この辺の大人の事情には意見の用意はありません。

世界の潮流からすれば基本的に政府高官が公式な取材の場では「オフレコ」としない方向にあるようです。民主主義とジャーナリズムの関係で、日本はまだ未熟なような気もします。

似た件で、黒川さんという検事が、定年をゴリオシして検事総長なるという噂の最中に賭けマージャンで処分されるということがありました。

これはオフレコとは異なり、ざっくり言えば賭けマージャンは違法行為であるものの仲間内の遊びの延長のような物であり、仲間内からリークされない限り外部に漏れる筋合いの話ではないのに、漏らした(裏切った?)人間がいるわけです(仲間内と言っても新聞記者たち)。

安倍政権による黒川さんの定年延長(つまり検事総長ゴリオシ)は、ついえてしまいました。これが実現していればオリンピックの電通問題も闇の中で片付いていたと思います。検事の定年延長、もしくは黒川さんの検事総長阻止のために腹切る覚悟でリークしたのかは、今となれば闇の中です(新聞記者なのに週刊文春に漏らしている)。

オフレコに戻ると、オフレコで取得した情報に脱法の内容が含まれていたらどうするかとなると、難しい選択になります。記者としての正義は、「人として通報する義務」と「守秘義務」の天秤にかけることとなります。

給料をもらっている一民間企業の社員の身分を尊重するのか、はたまたジャーナリストとしての正義を貫くのかは、最終的には「損得」できまるわけで、そこには「正義」「道徳」「矜持」は存在していないことでしょう。

G7が日本で開かれるようですが、米・英・伊・仏・独・加の6ヶ国すべての国で「同姓婚」「LGBTQの差別禁止法」「夫婦別姓」が法的に認められているようですが、そのすべてを認めていないのは日本だけです。それらを認めると「社会が変わってしまう」ということのようですが、日本を除いて国際社会は変わっているのが世界の常識のようです。

変わらない、変わろうとしない、可能であればレジームを戦前に戻したいとする与党自民党にとってはいずれも認めるわけにはいきそうもありません。