「日本の地経学戦略」という本

図書館に「国力」で検索したら「日本の地経学戦略」という本が見つかったので借りました。3回ほど、読み進めるべく努力しましたが、断念しました。

何を言っているのか、何が言いたいのかが全く分からないのです。

日本語で書かれていることは分かりますが、文字を読んでも先に進まない。先に進むとしたら、字面を追うだけで意味を理解していないのです。

理由の一つは「漢字」の多さではないかと思いました。

たとえば、18-19ページがこんな感じです。

著者は「片田さおり」さんという人なのですが、訳者がいるというので裏表紙を見たら、南カルフォルニア大学の教授だそうで、英語で書いたものを日本語に翻訳している点が、読みにくさの一つの要因になっているような気もします。

この見開きページの文字数は、「1,962」文字で、そのうち漢字が「787」文字でした。漢字率が「40.1%」。

何かと比較しないと何とも言えないと思うので、「死刑制度と刑罰理論」という本の178-179ページから文字をひろってみました。版の大きさが違うので見開きの文字数自体には比較の意味がありません。

この見開きページの文字数は「1,391」文字で、そのうち漢字が「455」文字でした。漢字率が「32.7%」。

経済の本より法律の本のほうが漢字が少ないのも面白いことと思いましたが、要点は明確です。

日本の地経学戦略」は英語で書かれていたため、読者が英語圏の人が対象であったこと。それを翻訳しているため、英語特有の言い回しを日本語にする過程で漢字が多用されることとなったのは、訳者の責任でもあると思いますが、基本は「書き手基準」の本であり、読み手が完全に不在であったということです。

それに比べて、「死刑制度と刑罰理論」のほうは、読み手に主眼を置いているのだと思うのは、法律など全く無関係・無関心な七十路の爺様でも読むほどに著者の言わんとするところが理解できるからです。

ちなみに、漢字率100%の漢文をすらすらと読むことができた時代の人であれば、カタカナのママ、日本語としてしまうようなことは回避することができたと思われます。

「グラビテイション」がそのまま日本語化されていたら、我々は「重力」から力学をイメージすることができないでしょう。「プラネット」がそのまま日本語化されていたら、我々は「惑星」から宇宙をイメージすることができないでしょう。

読み手基準にどのように書くか、翻訳するなら、どのような日本語表現に換えて伝えるかの視点がなければ、本の価値はないと思います。とかく翻訳本は「書き手基準」になりがちですが、読む人の価値を伝えられなければ、ほとんど徒労のように思います。