ジャニーズ問題を考える

被害の拡大の原因は、被害者を含めて「放置」してきたこと。それは「無関心」とは少し違っている。

その理由は「権力」というか「影響力」による。「お爺さん」が少年をいたずらしたという、通常人からすれば猟奇的ではあるけれど、これが少女だったら、これは絶対に社会問題となり「お爺さん」は社会的抹殺されていた。

「放置」「無関心」を装ってきた側には、巨大な利権が絡んでいた。この利権が「放置」「無関心」せざるを得なくした。

少年たちは完全なる被害者であるけれど、「お爺さん」に嫌われればその先の展望は消滅する。そのような選択を少年たちに迫る打算があったのかはわからないが、被害を受けた少年たちの心には刻まれている。

2021年10月5日、フランスでの調査報告だ。1950年以降、フランス国内では推計21万人以上の未成年者がカトリック教会の聖職者など3000人以上から性被害を受けたことが発覚」という記事(文春オンライン)が見つけられる。

こちらの件でも「残酷なぐらい無関心」「見てみぬふり」が指摘されている。

とはいえ、今から蒸し返せば被害にあった少年たちの人権に触れることとなる。告発する少年たちは正々堂々と法的手段に訴えることもできるけれど、沈黙している少年たち、元少年たちの人権をどうするかという複雑な事情が表面化してしまう。

再発を防ぐためには、司法が介入して徹底的に実態を調査し法的整備と賠償を考えなければならないと同時に、声を立てない少年(元少年)たちへの配慮は、これは「なかったこと」とする以外にないけれど、一番の罪悪は事務所、二番の罪悪は、「放置」「無関心」を装って金儲けに専心してきたメディア、広告業界。そしてスポンサー。

ここの責任が社会的であれ、糾弾されない限り違う形で「悪の進行」が「放置」「無関心」によって再発する。

Follow me!