メレルの日誌

ワディ・エル・ジャラフという4000年以上前の古代遺跡がある。

2013年、歴史的発見がなされた。世界最古のパピルス文書「紅海文書」が30巻見つかった

何かとお騒がせなカイロ(大学)の近くだ。ワディ・エル・ジャラフはその昔、にぎやかな港として栄えた。クフ王の大ピラミッド建造に直接関わっていたメレルという人物の日誌も含んでいた。

ワディ・エル・ジャラフの遺跡が最初に発見されたのは1823年。その後1950年代に、偶然にも遺跡を再発見した。1956年のスエズ危機によってそれ以上の調査ができなくなった。

2008年になってようやく調査が再開された。ここはおよそ4500年前のクフ王の時代、大ピラミッドが建造されていたときの重要な港だったと特定した。

ピラミッドに使う材料が港に集められ、そこから240キロ離れた建造現場まで運ばれていたことを明らかにした。そして、その見解を裏付けたのが、パピルスに含まれていたメレルの日誌だった。

エジプトの船は、シナイ半島から大量の銅を積んでワディ・エル・ジャラフの港に戻った後、次の航海まで石灰岩の坑道のなかに保管された。

ファラオ時代のエジプトには貨幣がなかったため、報酬は一般に穀物によって支払われていた。

多くの歴史家は、労働者が奴隷だったに違いないと主張してきたが、メレルによる詳細な報酬記録は、ピラミッドを建造した人々が「有能な労働者」であり、その労働と引き換えに報酬を受け取っていたことを示している。

となれば、われらが仁徳天皇陵も奴隷ではなく、有能な労働者だった可能性も否定できないが、何もわからないところが古代のいいところ。

どのみち、4500年前のエジプトに生まれていれば、ピラミッドを作るために石運びをやらされていただろうし、4、5世紀の難波に生まれていれば、仁徳天皇陵のお堀を掘らされていたか、堀った土運びをやらされていた可能性が高いから、裏金自民の今の世に生まれたことに感謝するしかない。