三蔵法師
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日本では中国の伝奇小説『西遊記』に登場する人物「三蔵法師」が特に有名だが、三蔵法師というのは一般名詞であり尊称であって、固有名詞ではない。
「西遊記」で孫悟空や沙悟浄、猪八戒らと旅をする三蔵法師は、玄奘という。
629年にシルクロードによりインドへ向かい645年に経典や仏像などを持ち帰る。唐の太宗は西域で見聞した諸々の情報を詳細にまとめて提出することを玄奘に命じ『大唐西域記』として報告した。
この玄奘には、出生にドラマがあった。父は科挙に合格する英才で、母は唐の宰相の娘であった。夫婦で任地に向かう途中、船頭・劉洪が邪心を抱き、玄奘の父を殺害し、母を妾にした。劉洪は玄奘の父になりすまし長官になった。母は、玄奘を生んだものの玄奘が殺されると思い、自分の息子である証拠として左足の小指をかみ切り、生い立ちを血書し木に乗せて川に流した。
赤ん坊は金山寺の法明和尚によって救われ、僧として養育された。和尚に生い立ちを聞き、母に会いに行く。母は母方の祖父に会いに行くように諭し、祖父は皇帝太宗に直訴したことで、犯人・劉洪を捕縛した。
母は二夫に使えたことを恥じ自害する。
太宗と玄奘にまつわる話は延々と続くが、菩薩が玄奘をかつての高弟であったことを見抜き、如来からあづかった袈裟と錫杖を玄奘に渡す。そうすると菩薩が現れ、小乗の経のみ講じるのではなく、大乗仏教三蔵こそが唯一のものと伝えた。
太宗は玄奘と義兄弟の契りを結び、「三蔵」と号するように命じた。ここから旅が始まる。
当初は、臆病でだまされやすく疑い深い側面が描かれていたが、孫悟空が主人公になるにつれて徐々に聖人として欠点が無いように描かれるようになってきた。
かつての中国は、こんなに奥深く、日本に知性を与えてくれたのに、今の中国は甚だ残念なことである。もう千年もすれば今のママの中国であるはずもない。その時の日本がどうなっているのかは、この都知事選で決まると言えそうだ。
今回の都知事選で、多くの人が認識したのは、メディアの体たらくである。能がないことは、許される。許されなければ私なども身を置く場所がない。能と正義がないのに力があると過信している。
世論形成していると自負しているかもしれないが、大衆を睥睨しているだけで、彼らがダダ流ししているコンテンツの低劣さによって、大衆の低劣さに磨きがかけられている。
経済が三流になったのは政治が三流だからだと石丸伸二は言った。それに付加するならメディアも負けず劣らずに三流であるゆえに、有権者が押しも押されもしない三流になっているから国力はなるべくして低下の一途をたどっていることが、都知事選によって明らかになった。