光も音も「波」

「声はすれども姿は見えず」という。それが「声」なら、誰かがいるのだから探せば「姿」は見えるはず。

しかし、「音源」として考えると、実は音は回り込む性質もある。「ホイヘンスの原理」などを持ち出すといきなり面倒になるのでやめておくけれど、音は直進しているだけではないから、姿が見えないことも十分にあり得る。

音は1秒に340メートル届く。周波数を2000Hzとすると1Hz17センチになる。

一方光は1秒に30万キロメートル届く。可視光の周波数は400テラHZ(テラは1秒間に1億回の1万倍)。これをもとに1Hzで1000万分の8メートルになる。

単純に20万倍の違いがある。

音が隙間を回り込むとしても、光はその100万分の1前後くらいしか回り込めない。つまり、視覚からすれば光は直進していると言える。

この逆を考えてみると、では、なぜ音は見えないのだろうか。

コウモリは音を見ることができる。コウモリが使っているのは超音波であるから、通常の音より直進性がある。それで見ることができるようになっている。

携帯電話が使っているのは電磁波で、波長が長い光のようなもので、波長が長ければビルなどを迂回できる。波長が短くなると直進性が高まり障害物を迂回できなくなる。

顕微鏡は100ナノメートル以下になると見えなくなる。それはまわり込みによるとのことだけれど理屈は分からない。が、ようは対象物より波長が短くなければ光がまわりこんでしまうというのが理屈のようだ。

そこで電子顕微鏡を使うこととなる。0.1ナノメートルくらいが見えるようになる。

すべてには理屈があるということだけれど、自分が生きて死ぬ間に必要な情報は何か? 聞こえる音を聞き、見える風物を見る。通常はそれだけでいいように思うし、音だって美しい音楽が聴ければいいし、光だってきれいな絵が書ければなお人生は豊かになる。