時間をかけて学んでもすぐに忘れる

時間をかけて学んでもすぐに忘れる学習法を「虚無学習」というらしい。

学びを定着させる方法としていくつかを上げてみる。

人に教える
要約する
書き込んでいく

結論からすると、どれをやっても覚える速度より忘れる速度のほうが圧倒的に早いです。

どのみち忘れるのだから、覚えようとしないことが一番利口だというのが結論です。

老子の言葉に「道常無為志而無不為」というのがあります。「道は常に無為にして而もなさざるは無し」と読むようです。

意味は、「道は自分からとくに何かをする訳では無いが、道によって成し遂げられない事は無い」ということらしいのです。ありがたい言葉ですが、そもそも「」ってのが出てくると、うざいです。抹香臭い。まして主語は「」なのだから勝手にやってよという感じです。

夏目漱石ではないですが、所詮人生は「道草」なのだから。

「道は所詮無為であり、しかも、無為でないものもない」と読むと、どうでもいいことになって気が楽になります。

荘子に比べると老子は、どうも教訓めいた言葉多くて辟易とします。荘子も、よく読むと書き手が何人かいるようで、なんだか抹香臭い話も少なくないですし、挙句には「玄関」「玄人」の「」の字が出てくると辟易としてしまいます。

が、荘子には「無為に為」というのがあって、これは「虚無学習」にもつながりそうです。それと、「学習欲は金銭欲と変わらない」というのもありました。

話し戻して、学習とは結局は叩き込む。繰り返す。そしてスパルタが、残念ながら効果が高そうです。それと、若さが不可欠です。

何かいい話を読んだら、相手が興味を持たなくても、ともかく伝達する。これを繰り返すと、少しは覚えますが、では、何を学ぶかになります。若ければ、経済でも政治でも地政学でも歴史でも何でも覚えればいいかもしれませんが、老い先短くなれば、興味が持てることだけに絞っていく必要があります。

持ち時間は少なくなっているし、眠くなるし、結局は忘れるし、死ねばすべてがゴワサンになる。