森銑三について

森銑三
明治28年に愛知県刈谷町(現・刈谷市)生まれて昭和60年に亡くなっています。享年90歳。長寿です。
旧制中学に進めず高等小学校を卒業し町立刈谷図書館に採用され蔵書の整理や分類目録の作成に携わる。その後、母校の代用教員になる。31歳で上野にあった文部省図書館講習所に入学し、隣接していた帝国図書館の蔵書を乱読する。歴史学者・辻善之助の紹介で東京帝国大学史料編纂所の図書係となる。
在職13年で編纂所を退職し、目白の尾張徳川家邸宅にあった逢左文庫の主任となる。在任中に「渡辺崋山」「佐藤信淵」を発表するも学会の通説と異なっており物議を醸す。1942年、逢左文庫を辞す(「逢左」とは名古屋城の別称)。
学歴
学会で物議を醸したのも、東京大学の史料編纂所をやめたのも、森に学歴がないからで、史料編纂所の重要書類には一切、閲覧することも許されていなかったという。いかにも東京大学らしい対応。医学においても赤門派として私学を下に見るような風潮があった。いまもきっとあることと思う。
疎開できずに東京大空襲で膨大な森の資料は焼失。1950年から15年間、早稲田大学で書誌学の講師として後進を育成した。
森銑三 著作集全17巻
森銑三著作集全13巻と続編入れて17巻が世に出ている。
というところが森銑三の概歴です。ようは、家の事情で高等小学校と言う最終学歴になってしまったものの歴史的資料の整理術にたけており、それだけではなく、発掘的な価値ある話をたくさん見出して書き残しています。
勝海舟の明治後の生活についてのエピソードも全集から見つけましたが、そうした発掘的なチップスをつなぐことで、歴史の見え方が変わってくるものだと思っています。
歴史とは何かと問えば、記録でしかないわけで、時がたてば風化もするし、権力者は書き換えもする。何が起きていようが、起きていなかろうが現在は厳然として時を刻んでいる。
歴史とは何か
では、歴史とは何の価値を有するのだろうか?
単なる、出来事のプロットでしかなく、出来事を取り除けばそこにあるのは庶民の人生だけになる。
森銑三の著作集の着眼としては、庶民を対象とはしてはいないが、かといって、森銑三ならではの視点による「歴史」が新鮮な情報を伝えてくれる。