藤原道長の話

道長には、ほかにもいたのでしょうけれど主たる妻が二人いたこととなっています。

一人が源倫子という、こちらが正室。結婚したとき24歳で道長が22歳だった。

彰子:一条天皇の皇后
頼通:関白摂政
妍子:三条天皇の中宮
教通:太政大臣
威子:後一条天皇の中宮

彼らの母だった。90歳まで生きたとのこと。一条天皇は道長を従一位にしようとしたが道長が辞退したため倫子が十一位になった。先に女性が従一位になった例として基経の妹の威子の例があるとのこと。ただし威子は、臣籍降下していた源定省を猶子としており、その源定省が皇籍に戻って宇多天皇になっている。無冠で従一位になったのは倫子が初めてで道長より階級が上になっていた。

他一人が源明子といい、こちらは第2夫人。源高明の娘。源高明は藤原一族の陰謀で大宰府に左遷されています。菅原道真と同じ道を歩まされています。

頼宗:太政大臣
顕信:出家
能信:権大納言
寛子:敦明親王の后
尊子:源師房の妻
長家:権大納言

母の違いが子の身分に圧倒的な差がついています。後三条天皇は母が藤原でなかったため倫この息子の頼通、教通に疎んじられたが能信は後三条天皇を強く庇護した。後三条天皇の子の白河天皇は、明子の娘の尊子の孫の賢子を寵姫にした。賢子は堀河天皇の母となる。

後三条天皇、白河天皇あたりから藤原摂関家は終焉を迎える。そのきっかけとなるのが能信で、かれは道長による母・明子の生んだ子らへの冷遇に反骨精神で臨んでいる。

もっと細かい話は「大鏡」などに詳しいが、藤原の栄華も道長までであったということ。