謝罪

熊本県水俣市で開かれた水俣病犠牲者の追悼慰霊式のあとの患者団体などとの懇談の場で、団体のメンバーの発言の途中で環境省の職員がマイクの音を切ったことについて、伊藤環境大臣は8日夕方、水俣市を訪れ、団体の代表らに「大変申し訳なく心からおわび申し上げたい」と謝罪した。

マイクを切った運用は不適切だったとして、和田篤也環境事務次官神ノ田昌博環境保健部長を伊藤大臣が8日、口頭で厳重注意をした。

しかし、大臣は現場にいたわけで、その時点で「マイクにスイッチを入れて」と言えば済む話だった。団体の代表に謝罪したというのは、反省をしたから謝罪したわけで、反省をしたということは自らに非があったことを認めたわけで、事後に事務次官や環境委保険部長を口頭注意するというのは明らかな茶番であり、ポーズである。

環境庁が環境省になったのが2001年。水俣病が公式に認定医されたのが1956年4月21日の5歳の子供からだった。

水俣病の認定基準としては、1977年(昭和52年)に環境庁が環境保健部長通知(当時)として示し、感覚障害や運動失調、視野狭窄、聴力障害などの症状が2つ以上みられることが必要であるとした。それまでは、「71 年基準」 が、これらの症状が一つでもあり医学的知見に照らして「疑わしきは救済せよ」というものだったので、大きく後退した。

と、こういう話だけれど、その昔にテレビで見たシーンが忘れられない。

水俣病患者の認定で環境省の役人2人が、水俣病で苦しんでいる家庭に訪問して「認定できない」と告知している姿をテレビで放映した。それが何年前のことだったかは覚えていない。環境庁だったか環境省だったかも定かではない。

認定されないとされる人にとっても地獄だけれど、認定できないと告知する担当の役人の心境だって地獄だったはず。国と県と国策会社チッソがしでかしたことであり、そもそもは国策だった企業を地域利益のために優先した結果だったので、告知する役人にはなんにも咎のない話である。

日本航空が御巣鷹山で墜落した時、日航の組合の人間を遺族への謝罪要員としたという記事だったかた小説だったかを読んだ覚えがある。その後、西宮でJRの列車がマンションに突入して多数の死傷者が出たことがあった。

そのとき、遺族への謝罪に、日航機事故の時の謝罪のノウハウを参考にしたというような、これも出典は定かではないく、嘘なのか本当なのか分からないものも読んだ記憶がある。

謝罪するということは「非」を認めることであり、反省する結果として謝るわけである。謝罪は「言葉」と「姿勢・態度」と「真心」で行う。しかし、役人や政治家の謝罪、あるいは企業経営幹部の謝罪には形式は整っていても、本心からの謝罪であることはきっとない。

つまり、反省もしていないし、非も認めていない。単に表面的な形式、儀式として職務の一環として頭を下げているだけである。

水俣病の元凶である「日本窒素肥料」には、雅子妃の祖父が1964年から1973年に社長と会長を務めていた(元日本興銀行専務からスライドしただけ)。祖父が刑事訴追される立場にないことを理由に、雅子さんのご成婚に問題なしとしたけれど、この件に関しては週刊誌ネタとして流布している部分でもある。仮に刑事訴追されたとしても、それは祖父のことであって雅子さんには関りのないことである。

どこまでが真実なのかはわからないけれど、ご成婚のタイミングで水俣病被害者との和解の範囲が広がり、かなり解決が進んだような話もあった。事実かは不明。

人の上に立つということは、それだけの権限と同時に責任もあるはずだが、あまりに「責任」を取らない偉い人が多すぎる気がする。むしろ、運が悪いタイミングに権力の座についてしまったぐらいにしか思っていないのだろう。

そもそも責任なんかに関心が無いから、権力を欲しがるのかもしれない。