「くそ野郎」裁判

経緯は、元TBSのジャーナリスト氏が、女性を「不同意性交」したという疑いがあり、そのことに対してれいわ新撰組の大石晃子衆院議員が「女性に対して計画的な強姦を行った」「1億円超のスラップ訴訟を女性に仕掛けた、とことんまで人を暴力で屈服させようとする思い上がったクソ野郎」とSNSで罵った。
これに対してジャーナリスト氏が大石氏に名誉棄損で訴えていた裁判で、最高裁がジャーナリスト氏の上告を棄却し、高裁判決の請求棄却が確定した。
このことは、裁判のことなので門外漢にとっては「いい」も「悪い」もない。そういえば、森友裁判では刑事罰はなかったものの民事裁判で「認諾」という手法ですべての非を国が認めることで1億数千万円を国が払うことになった奇異な司法の判断もあったが、これとて門外漢には「いい」も「悪い」もない。
東京高裁の判決では「クソ」という言葉が直ちに人糞を意味するとは解されず「クソじじい」や「クソまじめ」、「クソ忙しい」などののしりや強調の意味で用いられるとして「『クソ野郎』という表現は、いさささか品性に欠けるきらいがあるものの、他人に対する最大限の侮蔑表現であるのかは、疑問を差しはさまざるを得ない」と指摘した。
geminiに聞いてみました。「くそ」は平安時代からあったようです。侮蔑語になった時期は不明だそうですが、江戸時代には『東海道中膝栗毛』で、「くそったれ」や「くそ野郎」といった表現が登場するらしいので、当初は「うんこ垂れ」という意味だったと思われます。つまりは「人糞」のこと。
①価値のないもの、くだらないもの:
例: 「こんなクソみたいな映画、二度と見ない。」②程度がひどいさま:
例: 「クソ暑い」「クソ忙しい」③相手をののしる言葉:
例: 「クソ野郎」「クソったれ」
これを見る限り、①と③は「糞」に由来していると思われるけれど、②が「糞」との関連が薄い感じがするのでgeminiに聞いてみたら「糞」が大量にあれば(肥溜など)悪臭などの程度がひどいので、そこから「程度がひどい」ことに使われるようになったのだろうとのことでした。
「『クソ野郎』との表現部分を含む記載部分については公共性及び公益目的が認められ、前提となる事実について真実であることの証明があり、意見ないし論評としての域を逸脱したとはいえないことにも照らすと、『クソ野郎』との表現が社会通念上許される限度を超える侮辱行為に当たるまでとはいえない」
裁判所の判断では、令和の「くそ」には、「公共性と公益性」が認められる範囲での使用ならば、「社会通念上許容される限度を超えていない」とのことです。
あと、千年くらいするとこの判例を参照する輩も登場するかもしれません。「クソ美しい」「クソ旨い」「クソ頭がいい」とか。