「国家の衰退」という手本

衰退(すいたい)」とは「(おとろ)えて退(しりぞ)く」ことをいう。国家の衰退は、藤原一族から天皇院政に変わり、天皇院政の暴走を北条が抑え込んだこと、その北条から足利に変わったこと、その足利が織田信長によってが変わったこと。徳川家康が登場することで安定したかのように見えたものの世界の潮流から出遅れて、結果として薩長に入れ替わったこと。

その明治維新勢力も明治・大正・昭和となるに及んでアメリカに足腰が経たないほど叩き潰されて、ようやく現代までに至ってきたが、政権与党や都政を見る限り、かぎりなく「崩壊」をはらんできている。

すべてに通じる原因は、時の権力者の「無能」によることとなるが、よくよく見てみると権力者たちの享楽のために人民を隷従させひたすら「税」という手段で搾取し続けたことに崩壊の原因があったといえる。

例えば、いまもNHK大河でやっている平安時代。どれだけの飢饉があろうが、疫病が蔓延して京都の町に死体があふれていようが貴族と皇族が遊び惚けるために奴隷化した人民から重税を課していたことと同じ構図になっている。

それは「枕草子」であろうが「源氏物語」であろうが、人民の怨嗟の声などにはふれられていない。「方丈記」には触れられている。

北欧が、いろいろな数字でみると「国民のため」という観点において一歩も二歩も先を行っているのは、政治が国民のために機能しているからに過ぎない。翻って、日本の経済は、かつては世界を凌駕するような勢いがあったが、それは単に安い労働賃金と国民の数によって作られていただけのことだった(中国やインドが国家の体をなしていなかったから)。

安い労働力で中国、東南アジア、インドに追いつかれれば、単に時間の問題でしかなかったのに無能な政治は、平安時代の藤原氏のように根拠もなく驕り高ぶり、一流の経済国家であるかのように振る舞い続けてきた。

古今東西どんな国家でも権力者は官吏を使って増税をし続ける。彼らの豪勢な生活と一族郎党に蜜を吸わせるために一番安易な集金術が増税だからだ。

奈良平安時代から戦国時代を除いて能力至上で国家が運営された時代は少ない。明治になって徳川や大名を廃絶したのは薩長の下級武士だった。彼らが新たな権力基盤を構築したときに必要だったのは、幕府で実質的に無能な大名を支えていた官吏だった。その官吏を使ってかつての下級武士が大名になっただけでもあった。

その官吏を新たに生産するために作ったのが「大学」、つまり東京帝国大学だった。そこから学歴が独り歩きすることとなる。何を修得したかより、どこの大学を出たかが重要な身分を形成するようになる。たかだが18、19歳で入学した大学のステータスが、能力以上の身分を生涯にわたって保障してくれる。

現下の政治(国政のみならず都政だろうがどこの自治体であろうが)を見る限り、制度が披露していることを安芸高田市が如実に示してくれた。

「政治屋の一掃」「三流の政治が経済を三流にする」を標榜する40代の若者が「東京から日本を動かす」として立ち上がっている。この機会を逃せば、この日本は沈む一方のこととなる。

それを選べるのは権力者ではなく、東京に住む有権者なのだ。現状を破壊しない限り新たな地平線(日の出)を見ることはできないだろう。結果として日が沈む国になる予感は自公政権や小池都政を見れば火を見るより明らかなことだ。

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