「夜と霧」という本
著者はヴィクトール・E・フランクルと言います。1905年に生まれて精神医学を学ぶもののナチスによってユダヤ人がドイツ人を治療することを禁止される。1942年に強制収容所に収容される。1944年10月にアウシュビッツに送られるが3か月後に別の収容所に送られ1945年4月にアメリカ軍によって解放された。
収容者のなかから最も劣悪な人間が「カポー」という収容者から選抜されたユダヤ人に、収容者を管理させていた。アウシュビッツに貨車がつくと、カポーが乗り込んできて金目の物を取り上げる。
アウシュビッツに付く前の4日間でパン一切れ(150グラム)が与えられただけ。3段の板に寝る。1段あたりに9人。毛布は2枚。枕はなし。足をちょっと引きずるだけで命取り。
第一段階のクライマックスとしての心理学的反応として、それまでの人生をなかった事にした。
第二段階の心理反応になると殴られても感じなくなる。
飢餓浮腫が進み皮膚は膝が曲がらないほどに突っ張りだす。氷点下20度での作業でも手袋はない、靴下もない。足は凍傷になり霜焼けは崩れる。一歩一歩が地獄の苦しみなる。
収容所での精神生活は生き延びること、食欲のみに退行していく。最後の皮下脂肪を消費すると筋肉組織が消えていく。
愛する人の面影に思いを凝らせば、ほんの一時であれ安息を得られるものである。耐え難い苦痛も愛する人の面影や眼差しを呼び出すことで、なんとか耐えることができる。
状況により価値はあっという間に崩れ落ちる。没価値化は人格をも容赦しない。ついには自我までが無価値になっていく。感情消滅の原因は、決断を迫られるとその多くは生死がかかったことによる。運命が決断の重圧を取り払ってくれる。
感情の鈍麻といらだちの原因は、空腹と睡眠不足。睡眠不足の原因は過密で不衛生な居住空間とシラミ。そしてコンプレックス。
あの環境の中においても、感情の消滅を克服し、感情を暴走させず、自我を見失わなかった人の例は、数こそ少ないが何人かは散見された。弱ったものになけなしのパンを分け与える人もいた。
生きること、死ぬことに意味のあるものにするのは、自分のありようががんじがらめに制限される中においても、「どのように覚悟するか」にかかっている。
収容所におけるすべての苦しみや死には、どのような意味があるのだろうか? 強制収容所の人間の内面がいびつに歪むのは、最終的には個々人の自由な決断いかんにかかっている。
現実を無価値なものにすることは、ついには節操を失い堕落につながった。生きる目的を失えば節度も人間性も無駄なものでしかないからだ。自分の未来を信じることができなかった者は破綻した。精神的にも身体的にも自分を見捨てる。何も恐れなくなる。自らの糞尿にまみれたまま横たわり、何も心をわずらわせることがなくなる。
自己放棄と破綻は、未来の喪失と密接につながっている。ニーチェは言った。「なぜ生きるかを知っているものは、どのように生きることにも耐えられる」。
必要なのは、生きることが私達になにを期待しているのか というふうに発想を180度転換する事だった。
一方が悪魔で、もう一方が天使だという境界線は引けない。この世の中には、「まともな人間」と「まともではない人間」の2つの種族しかおらず、その境界は一人の人間の中で固定されているわけではない。