「奇跡の人」とは?

アン・サリヴァンことジョアンナ(アン)・マンズフィールド・サリヴァン・メイシー(Anne Sullivan、またはAnnie Sullivan Macy、Johanna Mansfield Sullivan Macy)は、1866年4月14日に生まれて-1936年10月20日に没している。日本で換算すると慶応元年に生まれて昭和11年に亡くなっている。70年の人生。日本では「サリバン先生」で通っている。

ヘレン・ケラーのことを書いた本のタイトルは「奇跡の人」とされている。原題は「The Miracle Worker」。つまり、「奇跡の働き手」ということで、サリバン先生が「奇跡の人」だった。ちなみに、マーク・トゥエインがサリバン宛の手紙の最後に「Miracle Worker」と書いたことによるそうだ。

アンはトラコーマによって視力を失う。9歳で母親を亡くし弟と救貧院に移るが弟は死に、アンも鬱になるが看護婦がキリスト教の教えを説くことで回復する。医者が手を離した後も、この看護婦がアンの部屋の前で昼食取りながらキリストの教えを説くうちにアンは希望を持つようになっていった。

14歳で盲学校に入り訓練と手術によって文字が読めるほどに視力が回復するが、光には弱くサングラスをかけていた。

グラハム・ベルが盲学校に仲介し、アンがケラー家の家庭教師になるのが1887年(明治20年)。アンが20歳の時だった。アンは盲学校を卒業しただけで教師の経験も全くなかったがケラー家へと行くことにした。

「ウォーター(水)」は、着任から1か月後の事だった。

井戸の水に触れることで、日本人も苦手な「ウォーター」と言葉を発するシーン。ものには全て名前がついているということを、ヘレンが理解する感動のシーン。

1962年版の「奇跡の人」では、サリバン先生はアン・バンクロフト(主演女優賞)。ヘレンはパティ・デューク(助演女優賞)。

1972年御カラー版では、アン・サリバンをパティー・デュークが演じている。

ヘレンはアンが卒業した盲学校に通い、さらに上の学校へ希望した。それがハーバード大学の女子向けのラドクリフ大学だった。そこにアンと同行し、授業をアンが指文字でヘレンに伝え、ヘレンに質問があるときは指文字でアンに伝え、アンが代わりに質問するというような学び方だった。

アンはヘレンが使う教科書を全部、点字のタイプライターで打ち直してあげた。ヘレンは、その点字になった教科書を指の皮が擦り切れるほどに読み返した。

アンの言葉。「喜びは、他者のために自分を忘れることにある」「他者の唇から漏れるほほえみを自分の幸せと感じる人間に私はなりたい」

ヘレンが「愛とは何ですか?」と尋ねたときにアンが答えた。

「雲に触ることは出来ない。しかし、その雲が降らせる雨で花も大地も喜んでいることは分かる。愛も手で触れることはできない。けれど、愛が注がれていることのやさしさは感じられる。愛があるから喜びが湧いてくる」と答えた。

この映画を見るにつけ「奇跡」とは「常識では考えられない不思議な出来事や現象」とするべきことではなく、必然と必然が偶然に見えるような形で交差することでしかないことがよくわかる。