「後悔」という学習
後悔は先には立たない。常に後ろに立っているとされている。
よって、先人は軽々にことをなしてから後悔することがないように慎重に行動をするように諭す。しかし、いくら考えたところで先に後悔することは出来ないのだから、まず、やって見ろと昨今では言われるようになっている。
どちらかが正しいか、どちらも正しくないのか、はたまた、慎重がいいのか、軽挙がいいのかは実は誰にもわからない。
いずれにしろ、うまくいった人が、「これで成功しました」と言っているにすぎない。
Newsweek(2023年12月7日(木)16時30分)のweb版の記事に「5歳の子どもは後悔しないが、7歳は後悔する」というタイトルに記事があったのだけれど、おおかた、この手の海外の記事は分かったようなことを分からずに書いていることが多いので、用心して読まないとあとで「後悔」することになる。
実験で5歳の子と7歳の子に同じストーリーを読ませて、子供に訊ねると5歳の子と7歳の子では明確な違いがあったという。そこでの結論が、6歳くらいまで「後悔」することができないというものであった。
8歳くらいになると、今からやろうとすることをしくじると「後悔」する可能性を予見することができるようになるらしい。
記事では脳の眼窩前頭皮質と呼ばれる部位が損傷していると「後悔」をしないとも言っている。
しかし、やはり最後まで読んで「後悔」した気がするから、私の知能は8歳以上ではあるらしい。
理化学研究所が書いた本では「恐怖」を学習することで、その恐怖体験が繰り返さなければ「消去」することを学習するとのこと。ただし、脳部位は別の場所にプロットされる。これがニューロンの「発火」と「抑制」の関係になる。消去学習が弱いか形成できないとPTSDやうつになる。
それからすると「後悔」も一種の失敗学習で、それから学ぶことも少なくはない。しかし、残念に思う気持ちが強いと、それを消去しようとニューロンが考えるのかは知らないけれど、気を紛らわせて抑制させようとする。
こうした、どちらかというと(生存)本能に近い感情は、偏桃体のどかにプロットされるらしい。それに比べて抑制しようとする気持ちは前頭葉の働きらしい。
宝くじを買おうと並んでいたら、お婆さんが杖付きながらやってきたので順番を譲ってあげた。譲ったひとは、なんと宝くじが当たった。譲られたおばあさんが、もしそれを知ったら譲られたことを「後悔」はしない。譲られたことを「憎悪」するだけだ。