「改革」か「改善」か

改善」というのは現状肯定の観点から改良を加えること

改革」というのは現状を否定することから始めて新たな世界を切り開くこと

が、一般的な解釈のようです。

東京都は「東京大改革3.0」だそうで、大改革を4年ごとにやっているそうで、今回で3回目となりました。

一般的には、組織にとって根本的な変化を目指す「改革」というものは、ときに大きな痛手を伴うものとなりますが、指名停止の電通には垂れ流しで仕事を作ってあげているようですし、どれだけの反対があっても三井不動産には、出がらしの幹部を引き取ってもらう代わりに大規模な開発案件を献上しているようで、これなども「大改革」の一環なのかもしれません。

変革に伴う痛みを恐れず、強い責任感と志向性を示すことのできる強いリーダーシップこそが「創造的破壊」を実現することからイノベーションが起きるというのがシュンペンターの提唱でした。天下りや利権構造や国政政党を手玉に取る手腕によるインモラルな創造的破壊から生まれる利権まみれのイノベーションから脱却するのは、次の知事は大変な苦労をすることになると思います。

しかし、現状を否定して改悪しようにも、法的にも、選挙的にも、改悪には限度があるようで、290万人の都民に気づかれない範囲でしか革新的改悪はできないのが不憫な女帝だと言えそうです。

これからの人口減少、及びそれに伴う経済の縮小に対して「改善」では歯が立ちそうにもありません。となると残されているのは「改革」だけです。

「東京に1極集中するから世界と渡り合える」というのが女帝の考えのようですが、その東京が世界と渡り合えなくなったときの46道府県のほとんどが廃墟になっている可能性が高そうです。にもかかわらず地方議会では居眠り議員や国政政党の手先でしかない、思想も知識も理念も哲学もない、利権と経験と裏金だけの議員の数こそが国や地方をむしばんでいくことでしょう。

江戸時代を牛耳っていた幕府に変わって薩長中心の新政府が政権を担ったことは「大改革」でした。「尊王」を残しながらも、効率的に文明開化を受け入れ富国強兵を実現していった。

旧幕時代とは違って頭脳明晰なる人材に西洋化を導入させた。下士であった福沢諭吉、西周、渋沢栄一などが活躍できたことが「大改革」を実現できたわけです。

「東京大改革3.0」が単なるスローガンだけなら、Xデーへの持ち時間を短くしただけでしかないので、逐次レビューしていく必要がありそうですが、答弁拒否が連発されそうです。改革の先陣を切って自ら退陣すれば、それこそが「大改革」だったように思います。