「枕草子」が描いた世界《其の23》

宮仕へする人々の出で集りて、おのが君々の御ことめできこえ、宮のうち、殿ばらのことども、かたみに語りあはせたるを、その家のあるじにて聞くこそをかしけれ。
家ひろく清げにて、わが親族はさらなり、うち語らひなどする人も、宮仕へ人を方々に据ゑてこそあらせまほしけれ。さべき折はひとところに集まりゐて物語し、人のよみたりし歌、なにくれと語りあはせて、人の文など持て来るも、もろともに見、返りごとを書き、また、むつまじう来る人もあるは、清げにうちしつらひて、雨など降りてえ帰らぬも、をかしうもてなし、参らむ折は、そのこと見入れ、思はむさまにして出だしいでなどせばや。
よき人のおはしますありさまなどのいとゆかしきこそ、けしからぬ心にや。

宮仕えする女房達が、それぞれの勤め先から集まってきて主人の自慢や、そこに集まる殿方のことなどを互いに語り合えるような家の主になったら楽しそうだ。

宮仕えする女房たちを住まわせて、集まっては誰かが詠んだ歌を評論したり、はたまた、誰かが文をもらったりしたらみんなで回し読みして返事を考えたり、また男が女房に訪ねてきて帰れなくなったりしたらもてなしてやる。女房達が出勤するときは思いのままにして送りだしてやる。

女房達の勤めるところにいる貴公子たちのあり様などが懐かしい。それって駄目なことかしら。

定子の死後の事なのかはわからないけれど、自らは主家を持たずに、女房達を集めて女房文化を共有してみたいという希望を語っている。

恋や和歌や手紙などを、みんなでワイワイやったら楽しいだろうと夢見ている。その隠れ家に男が訪ねてくればくつろがせてやるし、女房達が出勤するときには衣裳も化粧も髪も整えてやる。

定子の死後、おそらくは抜け殻のようになってしまった清少納言である。そんな清少納言が定子と共に過ごした時代を想起して、このような夢物語を考えていたのだろうと思う。