「死海文書」とは

1947年、死海の北西(ヨルダン川西岸地区)にあるクムラン洞窟などで発見された972の写本群の総称。

ヨルダン川西岸、死海に近いクムランという地域にある11の洞窟から、現時点で900巻前後の写本が見つかっており、断片の総数は10万枚に上る。紀元前3世紀から紀元1世紀にかけてのもので、エッセネ派と呼ばれるユダヤ教の宗派の信徒たちによって書き写されたと考えられている。

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死海文書が発見される前、最古のヘブライ語聖書の写本は紀元10世紀のものだった。死海文書の成立は、内容および書体の分析と放射性炭素年代測定、質量分析法などから紀元前250年ごろから紀元70年の間と考えられている。

当時のヘブライ語聖書の2つの重要な要素に、「律法」と「預言者」という言葉があって、イエスの教えの言葉にも「律法」と「預言者」が使われているが、死海文書にはイエスについては書かれていない。

第二神殿時代(紀元前516年〜紀元70年)にユダヤ人たちが信じていたことや、期待していたことを広く知る手がかりも含まれており、イエスはこれらを学び、キリスト教の教義の中核にも影響を与えることとなったといえる。

死海文書には、当時、一部のユダヤ教教団が考えていた「悪の力を打ち負かし、地球上に神の支配を実現するために、神による人間世界への介入が迫っている」という信仰が強調されている。

イエスの教えで強調されているのが、現実としての「神の王国」が世界に実現されつつあり、将来、神の最後の審判によって完全に実現されるということにも近似している。

そこで重要になるのが、人々を解放する救世主たる「メシア」の到来になる。メシアの捉え方として、善と悪が衝突することで政治体制が変化する結果としてメシアが現れるとする考え方と、イエスは国を霊的、社会的な救済へと導くことを目的としてメシアが現れるとする点で違いがある。

wikipediaには、詳しい情報が掲載されているが、予備知識なしには理解することが不可能なので、宗教的な部分に関しては割愛してある。