「焚書坑儒」とは

中国の秦の始皇帝が紀元前213年頃に実施した、主に儒教に対する弾圧政策です。実用書以外の書物を焼き、460人以上の儒者を生き埋めにした故事から、転じて学問や思想の弾圧、暴政を指す言葉として使われます。
戦前は、このような思想弾圧をしていたようだけれど、令和になってもやっているのは、権力構造の基本が変わっていないからでしかない。
かつて公務員をやっていた経験からすると、管区程度の上級官庁から問い合わせなどあれば、現場の課長の声は上ずってしまう。それが、本省の局あたりからの問い合わせだったりしたら所長や部長に報告しなければならないくらいの大事態になる。
そんな、愚かしい権力階層の末端にいれば、「安倍昭恵」の写真や名前が出ていれば現場の管理職にとっては「大ごと」となる。当然、本省に問い合わせが言っている。
となれば、本省判断として「安倍昭恵、その他政治家の名前が出ていれば廃棄しろ」となるのは自明で、それを言われた現場の管理者は、「法に触れる」ことよりも「雲の上の本省の偉いさん」から依頼(依頼)があったことで役に立ちたくて声が上ずり気味になるものの、誰が手を下すかは自ずから末端になる。
赤木さんも、自己保身のための証拠として記録を自己所有していればよかったのに、上司を信頼したことが命取りになった。これが映画だったら、赤木さんが不自然死したら、赤木ファイルは正義派の弁護士事務所に届くような展開になったであろう。
福田康夫内閣の時に「公文書管理法」を作ったけれど、官僚が抵抗し、確か罰則規定がなかったはず。ざる法作っただけ。
法律家の誰もが言わないのに、ヒロユキはたいしたもので「第258条、公務所の用に供する文書又は電磁的記録を毀棄した者は、3月以上7年以下の拘禁刑に処する」を持ち出している。
裏金何千万せしめても国税は査察に入らない、司法も入らないこの国のことだから、今回の件も、誰もお咎めは受けない方向で総理大臣は何らかの交換条件を官僚から飲まされているのだろう。
そもそもは善悪の区別もつかない総理夫人が、善悪の区別のつく夫婦に接近を許したことがこの都始まりであったことは事実。