「花岡事件」について

日本国内に強制連行された中国人の総数3万8千935人
秋田県北秋田郡花岡町(現大館市花南)の鹿島組花岡出張所に強制連行された中国人は、986名
連行途中の7名も含め、その約42%に当たる419名が死亡

もし、小池都知事や松野官房長官が秋田県知事なら、正式な証拠が無いとするところであったが1945年お年末にGHQが介入することで惨状が明るみに出ることとなった。

柳条湖事件から廬溝橋事件を経て、中国に対する侵略戦争を始めたものの、侵略でもなければ戦争でもなく「事変」だということにした。とはいえ、世界はそのようには見ておらず、鉱物などの資源の輸入が徐々に禁じられ資源がひっ迫してくる。

花岡鉱山を鹿島組が請け負い、中国からの強制連行による労働力を酷使した。厳寒の地にありながら、寒さと飢えを凌ぐには程遠い衣食住しか供されないばかりか、限界を超えた苛酷な労働を強い、あまつさえ鹿島組の補導員からは筆舌に尽くし難い虐待と凌虐の限りを尽くされたとのこと。

そこで、中国人労働者は1945年6月30日(敗戦1か月半前)に一斉蜂起し、4人の日本人補導員と中国人1人を殺害し逃亡した。しかし、延ベ2万4千人を超す憲兵、警察官、自警団らによって捕らえられ、飲食物を与えられることもなく拷問を受け、百余名が亡くなった。

大勢の住民がこの場面を目撃したが、この有り様が外に漏れるのを恐れ、新聞社に記事を差し止めさせ郵便局から発送される郵便物も検閲されたという。

首謀者として13人を戦時騒擾殺人罪として送検し、11人が起訴され、敗戦後の9月11日、無期懲役1人を含む判決が秋田地方裁判所で下されたが、10月7日、アメリカ軍が進駐、花岡を訪れ惨劇が発覚した。アメリカ軍将校は詳細に調査を始め、こうして「花岡事件」が明らかになった。

アメリカ軍は、鹿島組の関係者を取調べ、7人を秋田刑務所へ収容し、2年半後、BC級戦犯を裁く横浜裁判で終身刑1人、絞首刑3人など6人に判決を下し、9月11日の秋田地方裁判所の判決は取り消しとなり、中国人は釈放された。

400人以上を殺害したため死体の火葬が大変なため大きな穴を掘って埋めた。

花岡事件は、地元にとっては「負の遺産」であり、語らないことが通例となっていた。

2000年11月29日、鹿島は企業としても責任を認め、原告11名を含む986人全員の一括解決を図るために5億円の基金を設立することで和解が成立。

生存者と遺族が日本政府を相手に損害賠償を求める訴訟を起こしたが、2019年大阪地裁は原告の請求を棄却した。その理由は「日中共同声明によって裁判上の個人の請求権は放棄された」ということ。2020年大阪高裁も請求を棄却が労働力不足が背景にあった戦時下の国策に基づき強制連行が行われたと事実認定をした。

2021年、最高裁において上告を棄却、本件を上告審として受理しないとの決定を下し、原告の敗訴が確定した。

「〝裁判〟といっても、これは〝政治〟そのもの。最高裁の裁判官を決めるのは、ときの政権。政権が許容できる範囲の裁判官しか今は選ばれていない。政権が許容できない判決が出ることはなく、結局は“政治”だ・・・」辺野古移設で沖縄県敗訴に対して前明石市長の泉房穂氏の見解。

関東最震災で朝鮮人を虐殺したことや、現下の政権や都の考え方から垣間見えるのは、同じ根が完全には除去されていないのではないかという疑義に懸念を覚えます。