「Cognitive Apprenticeship」とは
「Cognitive Apprenticeship」における「Cognitive 」は「認識の」という意味のようです。「Apprenticeship」は「年季奉公;徒弟[見習い]の身分;見習い期間」。ということは、「認識を高める初心者教育法」あたりになります。
これを日本のビジネス用語としては「認知的徒弟制」だそうです。言葉にすると日本的ですが、発祥はアメリカだそうです。
「認知的徒弟制」として検索しても日本語のwikiには該当がありませんでしたので「Cognitive Apprenticeship」で検索したら英語サイトにありました。日本語化するタイミングで、えてして勝手な解釈がされることは少なくないので、それを機械翻訳して概要をつかんでみようと思います。
冒頭に書かれているのは「スキルの達人がそのスキルを初心者に教えるプロセスの重要性を強調する理論」ということで、やはり「徒弟」などと言う概念ではなさそうです。なぜ、達人が初心者をじかに教えるのかというと、これが重要ですが「暗黙のプロセス」を考慮に入れた訓練ができるからです。
ちなみに4月になると一斉に雇用して97.5%もの企業が新入社員教育を行うのだそうですが、これって、学校教育の延長に近いことが多いような気がします。コンサルタントなどが講師になって業界のことや、はては名刺の交換や挨拶の仕方などの立ち居振る舞いなどの教育を受けることが多いようです。
とはいえ、最近ではOJTが少しずつ伸びだしているようですが、そうした大雑把な考えではなくアメリカ式では「状況に応じた認知」に立脚しています。とどのつまり「学習と認知が根源的に同一の状況であるべき」ということと言えそうです。
この逆が日本式学校教育と言えます。微分や積分を習っても、それが実際に何の役に立つのか認識できないわけです。一般教養として学ぶべきものと、実社会において役に立てることができるものを区分けして、それがどのように役に立てられるかが暗黙の内に示されるような教育法であるべきとする考え方じゃないでしょうか。
「徒弟」という言葉は、ミスマッチと思います。「徒弟」とは、「技は盗め」のようなニュアンスが含まれていて、裏では殴ったり蹴ったりがありそうな雰囲気が含まれている言葉なので、なぜ、そのような言葉を選んだのかなと思います。
教える内容が現実の仕事と無関係な内容であるなら教育効果は低くなると指摘しています。仕事における「スキル」に含まれる要素間の関連付けを理解していくことで自律的に取得して言うことができるようになるわけです。
「Cognitive Apprenticeship」では、スキル習得を6つの段階に分けて考えます。まず、「認識」する。ジョブの概念モデルを体験し、自ら構築できるようにする。指導者のパフィーマンスと比べて何が欠けているかを指摘してもらう。それを足掛かりとして少なくともタスク処理ができるようにします。
次の段階では「Articulation」、つまりありていに言うなら「知識」と「思考」を「言語化」あるいは「明確化」します。そして「振り返り」することで、改善意欲をもって教師のレベルのパフォーマンスに不足している部分を分析します。仕上が「Exploration」。日本語にするなら「探求」になります。
このような段階を本当に用意しているのかは不明ですが、このように考えてメソッドにするというのがアメリカ式なのでしょう。学校教育にも、多少はこのようなエッセンスが取り入れられていれば、もう少し学習効果を上げられるように思いますが、その場合、一番の障害になるのは「教師の資質」でしょう。
少子対策としてお金をばらまくくらいしかアイデアがなく、果ては大学教育を無償化するなどという意見も出ていますが、それ以前に教育の質を上げる算段が必要だとはだれも言い出さないのが不思議です。