ざる法
都知事選で、24人の候補者の供託金を払い、政党にいささかの寄付をすれば、1か所24枚を好き勝手にポスターを貼ってもいいということを標榜して物議を醸している。
実際には公序良俗に反したり商品などの宣伝は、法に触れるらしいが、大方、何らの規制もないとのこと。というのは、今までは立候補をすることを前提(性善説)として使われて来た仕組みだからだ。
心から人間の「善」を信じているわけでもないのに、「善なる行いをしてくれるだろう」という根拠のない「ざるルール」は、単に仕事のプロフェッショナルとして対処していないだけのことだ。
そこを「性悪説」を信奉する人たちにいいようにやられてから、「善なる行いをすると信じていたのに」みたいな泣きをいれるほうが愚かしい。
連日、選管に苦情の電話が相当数入るらしい。
しかし、「ざる法」とは端的に、この選挙ポスターで示されているが、では、自民党と公明党の傑作である「政治資金規正法」は「ざる法」ではないのか?
何千万円といういう裏金を手にしていても、誰一人、検察にも国税にも捕まっていないのは、それを規制する法律が「ざる」だからじゃないのか。総理大臣は検察の捜査で違法性がないことが立証されたというけれど、そもそもが「ザル」なら違法性があるはずもない。
「悪法も法也」で高笑いしている連中が、実は法律を作るのである。実際には、東京大学を出た自称エリートである官僚が、このような抜け穴だらけの「ざる法」を愚かな権力者たちのために揉み手摺り足で作る。
選挙ポスターを性悪説に則って24人分の供託金を払って無法地帯を作った人間の智慧は、抜け穴を見つけて利用しただけであるのに比べて、「政治資金規正法」のほうがはるかに悪意悪質な「ざる」だといえる。
東京都知事選で「政治屋の一層」とか「政治が三流だから経済も三流になる」。国から変えるのには時間がかかりすぎるから、国政はほっといて「東京から日本を変える」とまで愚弄されている国政の連中で、そこまで愚弄されていても都知事候補者に反論している姿を目にしない。
一部、いまや都知事を神と崇める政党の信者が「東京を舐めるな」とかみついたが、感情のみで都知事候補にかみつくこと自体、自らの愚かさと稚拙さを露呈しているだけのことだ。
人間、40年も生きればできる人はできる人になる。80年も生きて、能もないのに当選回数と金(それも税金)を自由に使える力を「権力」としていることが、この国を三流にしてしまった。
何歳まで仕事しようが、それは本人が決めればいい。しかし、権力に関してだけは「人生50年」で打ち切るべきだ。
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