すべての道はローマに通じるのか
「フォンテーヌの寓話で『裁判官と病院長と隠者』の話が、すべての道はローマに通じる」から来ているらしいのですが、その辺を詳しく教えてください」とgeminiに尋ねたら、
寓話の内容
この寓話では、それぞれ異なる職業を持つ3人の人物が登場します。
- 裁判官: 法の執行者として、厳格で公平な判断を下すことを求められる立場です。
- 病院長: 病人を癒し、人々の健康を守ることを使命とする人物です。
- 隠者: 世俗を離れ、静かに神に仕えることを選んだ人物です。
3人とも、それぞれ異なる方法で神への道を求めています。しかし、彼らの目的は同じ、つまり「救済」という一点に集約されます。
「すべての道はローマに通ず」との関連性
この寓話において、ラ・フォンテーヌは「すべての道はローマに通ず」という言葉に、以下の意味を込めていると考えられます。
- 目的は一つ、方法は様々: 3人の人物は、それぞれ異なる職業を持ち、異なる方法で神を求めていますが、最終的な目的は「救済」という一点に集約されています。これは、目標は一つでも、それを達成するための手段は様々であることを示しています。
- 多様性と統一性: 3人はそれぞれ異なる個性と背景を持っていますが、最終的には同じ目標に向かって歩んでいます。これは、個々の違いはあれど、最終的には一つの目的に向かうという人間の普遍的な姿を映し出しています。
- 真理への道は一つではない: 神への道は、裁判官、病院長、隠者という3つの異なる道に分かれています。これは、真理にたどり着く方法は複数存在することを示唆しています。
ラ・フォンテーヌの意図
ラ・フォンテーヌはこの寓話を通して、人々が異なる方法で同じ目標を目指すことの大切さを訴えようとしています。また、多様な価値観や生き方がある中で、共通の目標に向かって協力することの重要性も示唆していると考えられます。
現代社会への示唆
この寓話は、現代社会においても様々な示唆を与えてくれます。
- 多様な価値観の共存: 現代社会は、多様な価値観が共存する社会です。この寓話は、異なる価値観を持つ人々が、お互いを尊重し合いながら共存していくことの大切さを教えてくれます。
- 目標達成のための多様なアプローチ: 目標を達成するためには、一つの方法にとらわれず、様々なアプローチを試してみることも重要です。
- 共通の目標に向かって協力する大切さ: 社会全体の課題を解決するためには、異なる立場の人々が協力することが不可欠です。
まとめ
ラ・フォンテーヌの「裁判官と病院長と隠者」は、「すべての道はローマに通ず」という言葉の奥深さを理解する上で、非常に重要な寓話です。この寓話は、単に一つのことわざを説明するだけでなく、人間の本質や社会のあり方について深く考えさせられる普遍的な物語と言えるでしょう。
と答えてきた。geminiの解釈は、フォンテーヌの意図と少し違うようではあるけれど、瞬時によくまとめるものだと感心する。
「自分を知ること、学ぶこと、これこそが至高の神がすべての人間に命じている第一の責務だ」という。その上として、「大勢の人に紛れれば自分を知ることはできない」「静けさに満ちたところでしか自分を知ることはできない」といい、そのことが「ローマに通じる」と比喩につかっている。
スタートでは、世の中を良くしようとして裁判官や医者や学者や政治家や官僚になる。そうした優秀な人材には事欠かない。しかし、優秀な人材が就く職業には地位や名誉や権力やお金が付いて回る。それらにかまけているうちに、自分自身を省みることよりも、栄達を望む自分に変節してしまう。
典型的な例として昭和の軍人を挙げることができる。みんな村の神童だった。陸士海兵、陸大・海大を出て、どれだけ優秀な戦争指導をしたのかといえば「あれ」だった。なぜ「あの程度」だったのかといえば、自己の優秀さを作戦指導で表そうとしたからだ。
つまり、仕事を使って自己の優秀さを証明しようとした。作戦(仕事)は、自己の優秀さを示す方便でしかなかったことから、その作戦の是非や、もっと大局を捉えることを放棄していた。なぜなら、作戦の是非や大局観は、ともすれば上層部批判にもなりかねないから。
これが、今の官僚機構の統制原理になっている。まさに明治・大正・戦前昭和から令和の今にいたるまで、官僚を支配する統制原理であって、自己の正義感との乖離を問題視しようともしなくなっている。
フォンテーヌが言いたいことは、「自分自身を知ること」においてすべての人間は、ローマへと通じる道になるということ。ここでいう「ローマ」は荘子が言う「玄」ということでもあるが、道を歩いているうちに北京やモスクワやニューヨークや霞が関を目指すようになり、人間としての究極の真理を追究しようとはしなくなることへの警鐘でもある。
道元は、「人しれず めでし心は 世の中の ただ山川の 秋のゆふぐれ」と詠んでいる。北陸の山の奥に庵を作って、大自然という摂理と共に、自己を内省していたようだ。つまり、道元の生き方は仏の道であったので、ローマではなく天竺に通じていたのかもしれないけれど、自分自身を見つめることにおいては同じ道を歩んでいたと言えそうだ。