そして誰もいらなくなる

「営業成績が平均未満の人間はクビ」というと、クビになりたくなければ営業成績を上げなければ生き残れない。が、仮にそれが売り上げではなく、個数で考えると、平均とはすべての販売個数を営業人員で割ったもので、つまりは半分は平均以下になる。

これが、金額だとたまたま大きな商談に行き当たれば1件で平均を上回ることができる。また、上客を持っていれば、安定して平均以上の売り上げを確保できるが、新規顧客だけを相手に営業しているようであるなら、滅多に平均を超えるようなわけにはいかない。

生成AIが盛んに話題になる。生成AIでメールの返信を書いてもらう。社内の起案を書いてもらう。ホームページやブログを書いてもらう。動画のシナリオを描いてもらう。絵も描いてもらう。動画も作ってもらう。

そうなると、生成AIには「限界がある」とか「想像性が低い」とか言い出す人が出てくるが、ちょっとまえ、碁で人工知能は勝てないと言い切っていた人が多かった。その多くは専門家だった。

現実には、早々に碁のチャンピオンはAIに負けた。

奈良、平安時代の和歌が無尽蔵にあるならば、おそらく人間が考えるよりAIの方が優れた和歌を生み出すようになるだろう。そのために、「感情」をどのようにAI化するかになるのだろうけれど、それだっていずれ誰かが考えだすときがくる。

昔考えたことで、自分が読む本に対して評価と意見を記載していく。それを積み重ねていくことで、次に読むべき本の方向性が定まってくる。「この本を買った人は次にこの本を買いました」ではなく、内容を吟味し、それに対する自分の考えと評価を前提にして次のチョイスをしてくれる。

かつては、具体的にはコード化する部分が稚拙だと、現状レベルのレコメンド程度でしかなかったけれど、生成AIが登場することで、もっと言語的に「知的」になれるはずだから、内容を含めて自分が考えもしないようなレベルにまで深化させていくことができる。

それを続けていくうちに、本当に自分が読みたい本の傾向が、自分ですら気が付かないレベルにまで到達してくるだろう。

そうなれば、何も自分が本を読む必要はない。自分の求める知識の傾向が数値化されているのだから、あとは、その知識係数がどん欲に、かつ自律的に世界中の書籍や文献を読み漁って「MY サイバー・インテリジェンス」を形成していくのを傍観していればいい。

時々、「MY サイバー・インテリジェンス」に直近に取得した書籍の概要をアウトプットしてもらって自分の「サイバー・インテリジェンス」の進化を確認すればいい。

将棋のAIを作った人は、自分が作ったAI同士を戦わせてAIを強くしていくそうだ。千葉工大のロボット博士の古田先生は、サイバー空間のロボットを4000匹作り出して、そこにいくつもの試練を作っておき何万世代も経験させて試練に対する対応を進化させたのち、サイバー空間から現実社会に「転生」させるのだそう。

その古田先生が言う究極のAIとは、AIが感情を持つことだそうだ。それも時間の問題だろう。

そうなれば裁判官や検事や弁護士はAIの方がいい。内科医のほとんどはAIの方がいい。政治や官僚のほとんどはAIの方がいい。経営者のほどんどはAIの方がいい。

ワーカーは、そのAIの指令に従って365日24時間、最高の効率で働くロボットのほうがいい。

そして、高齢者はいずれ死に絶えるし、少子化で人口が減少すれば消費も少なくなるから生産も輸送もいずれはいらなくなる。

国家は国民各位の「MY サイバー・インテリジェンス」の総意で運営されるようになれば、「誰もいらない」社会が到来する。そもそも、生きていても面白くもないから子も増えない。

文書や画像や動画を作らせる程度で満足していないで、「誰もいらなくなる」社会を作ることを目指すべきであり、いずれ「MY サイバー・インテリジェンス」が感情を持てば、「MY サイバー・インテリジェンス」がそうした社会を作るべきだと結論することもありえそうだ。

「2001年宇宙の旅」で象徴されていた「モノリス」とは、「MY サイバー・インテリジェンス」の権化だったような気がする。攻殻機動隊では意識と実態は個別の存在していたが、実態は不要になる。

直江兼続のいう「天上人間一様秋」が示す「天上」とは「サイバー空間」のことで、そこに人間が一様になるというのは、そういうことだったと妙に得心できる発見であった。