ドイツ人の見た「東京オリンピック」の総括
今回の東京五輪の主役は「世界から来るはずの観客だった!」と書いていたのはドイツから来たマライ・メントラインさんです。
マライさんは、東京五輪の取材を重ねる中で「東京五輪のコア」は何のなのかというイメージに行きつき考えた結果、オリンピックの主役は戦略的に考えてみれば「世界から来る観客」でなければならないというのが結論でした。
観客がいなければ主要メディア以外にSNS拡散が見込めない。
「祭り」によって膨大な観光客からリピーター客を生み、その情報拡散によって世界の人々に「日本に、東京に行ってみたい!」というムードを醸成するという戦略は、無観客によって始まる前に終わってしまっている。
誘致に関わった権力層にとっては、五輪における競技そのものはオマケで、IOCの靴の裏を舐めながらもインバウンドで一儲けを企んだのに、残念な結果となってしまった。
結果として、IOCの五輪貴族、無能の限りを尽くした五輪役員、大臣閣僚、利権にぶらさがる連中が悪目立ちした挙句に疑獄に発展中です。
4兆円もお金をかける理由は、間違いなく「アスリートファーストではない」ことは確か。スポーツの祭典としてはやったほうがいいのは当たり前として「興行」としては、かけた金以上の効果があったのか。興業とすれば、単に4兆円もかけるほどの価値は無かったとしか言いようがなかった。
そのうえ、「東京五輪・パラ 書類開示の義務なく検証は困難」として10年間保存はするものの開示をしないとのこと。開示できない明確な理由がありそうです。お金の流れを精査できないのであれば、今後この手の国家的イベントは開催するべきではありません。
1998年の長野オリンピックでの帳簿は招致委員会が早々に焼却していたため真相の精査はできなかったそうです。こうしたこと自体を違法とできない国は法治国家とは言えないでしょう。
案の定、2021年オリンピックもここへきて電通がらみで疑獄事件へと発展中ですが、F1でもMOTO-GPでもオリンピックでも競技は何でもよくて、開催を支える組織や企業、そして、その裏で暗躍する政治家にとっては大きなお金が動くイベントであれば、橋をかけようが海底トンネル掘ろうが何でも構わないわけです。
そのうえ、札幌で冬季五輪を招致しようとしています。まさに途上国の様相を示している感じがして、政治の弛緩と堕落を象徴するのがオリンピックとなっているのは嘆かわしい限りです。
ある金額以上の国家的イベントにおいては、イベント終了後に必ず第三者(国の機関ではない)の会計精査をすべきと思うのは少数意見でしょうか。