バランス・オブ・パワー

領土というものがある。いつから「領土」ができたのだろうか。ChatGPTに聞いてみた。

1. 古代の部族社会

初期の人類社会では、定住せず狩猟採集を行う遊牧民や部族が多かったため、土地に対する明確な「所有」という概念は存在しなかったとされています。資源を共有し、移動しながら生活していたため、固定的な領土の意識は希薄でした。

2. 農業革命(紀元前8000年頃)

農業の発展により、人々は定住し始め、村や都市を形成するようになります。この段階で、自分たちの土地を守り、他の集団との境界を引く必要性が生まれ、土地の「所有」や「領土」という考えが出現しました。例えば、メソポタミアや古代エジプトでは、都市国家が河川を中心に領土を確保し、境界線を設けることが重要になっていきました。

3. 古代帝国(紀元前3000年〜)

メソポタミア、エジプト、中国、インダス文明などが栄え、国家という大規模な政治体制が成立すると、領土の概念がさらに明確化しました。特に、帝国や王国が他の地域を征服し、自らの支配下に置くことが一般化したことで、領土拡大の意識が強まりました。

4. 中世ヨーロッパと封建制度

中世ヨーロッパでは封建制度が広がり、領主が土地とその住民を支配することで領土の概念がさらに発展しました。領主が領土を所有し、その領地を守るために城を築き、軍隊を配置するという形で、領土の境界がより固定化されました。

5. 近代国家の形成(17世紀頃〜)

現在の「領土」という概念に近い形が定着したのは、17世紀のヨーロッパで近代国家が成立し始めた頃です。ウェストファリア条約(1648年)は、主権国家の概念を確立し、領土を持つ独立国家としての枠組みを明確にしました。この時代以降、国家が特定の領土を持ち、その領土内で法的・軍事的な支配を行うという形が普遍的なものとなりました。

6. 現代の領土概念

現在では、国際法によって領土の主権や境界が定められ、国家間の条約や国際機関が領土問題を調整しています。領土紛争も存在しますが、基本的には国際的に承認された国境を基盤に国家の領土が確立されています。

まとめ

ということだった。近代においては1648年のベストファーレン条約によって欧州の民族国家が生まれ、領土とその主権を定義した。この主権国家の国境を越えていく行為を「侵略」と定義したけれど、だからといって守らない国もある。

もし警察のような機関がないとして、自分の家に泥棒や強盗が押し込んだら(権利を侵害されたなら)、その泥棒や強盗を撃退しなければならない。自己を侵害しようとする力に対して、跳ね返す力によって、自己の権利はバランスを保てることになる。

これを「パワー・オブ・バランス」という。欧州では、1648年以降、ナポレオンと第一次、二次世界大戦におけるドイツなどが、それなりに「侵略」をしていた。

このBOPにおける「武力」が役割を喪失していく背景に「経済力」があった。かつては日本がそうであったし、現在で顕著なのが中国である。アメリカだって、いまでこそ保安官のような振る舞いをしているが、スペインと戦って、その結果としてフィリピンを植民地にしたりしている。あわよくば中国に利権ようとしていたことは事実である。

日本も、経済力で世界2位だった時に軍事力も経済力に応じた規模に拡大しておくべきであったが。金儲けに目がくらんでいた。

少なくとも近代における国家の領土と主権は、経済力という「パワー」によって守られるわけで、それは単に経済力というお金のカサだけではなく、経済力に裏打ちされた軍事力が不可欠だということになる。

ということは、アメリカや中国のような巨大経済力&軍事力国家の存在は、世界平和に寄与できない可能性を内包することになる。だって、トップがプーチンやネタニヤフのような人間になれば、強大な力があるだけにバランスも大きく崩れる。

よって、経済規模で国家を分解してEU&NATOのようにすることで「パワー・オブ・バランス」が保てるということになる。

そして、ロシアやイスラエルのような「侵略国」に対しては「集合的パワー・オブ・バランス」によって経済的な締め付けをすることで国際平和が保てるということだ。その時に必要なことは「完全一致」ではない。国家の経済力の合算において過半数を前提とするべきである。1国が1票なんてのはおためごかしだ。