パラグラフ・ライティング考
「パラグラフ」とは? と調べると、なかなかまことしやかで、かつ、皆さんが異口同音で申し立てる解説があります。
パラグラフ(paragraph)とは、ある1つのトピックについて述べている複数の文の集まりのこと
日本語にすると「意味段落」などというと、「パラグラフ」よりはニュアンスが伝わりやすいです。日本で文書の書き方としては、小学校のときに「作文」とか「日記」を書かされましたが、書き方まではうるさく指導された覚えがありません。
翻って、洋の西の方では、子供のころから大学まで、文書の書き方の指導を受けるのだそうです。ようは、書き方にセオリーがあって、論文やレポート、報告書、起案のような、いわば第三者に伝えなければならない種類の文書は「パラグラフ・ライティング」のセオリーに従った書き方でなければならないと、これまた異口同音に攻め立てています。
なぜなら、偉い人は時間がない。たくさんの文書を読んで判断し結論を出していかなければならない。よって、上がってくる文書を30秒で、先まで読むかを決定しているのだそうです。
「パラグラフ・ライティング」のセオリーに従うと、冒頭で要約に関するトピックが30秒以内で読めるよう書く。さらには、最初の1行には「トピック・センテンス」という、さらにさらに要約した1文を置くのだそうです。
最近、図書館から借りてきた本で洋書の翻訳本がありました。著者はハーバードとかオックスフォードのようなブランド大学を卒業した人なのだそうですが、まず、本が分厚い。めげるくらい分厚いです。優に400ページとか500ページあります。
「パラグラフ・ライティング」を本当に習っているのかと聞きたいぐらい冗長で、結局最後まで読みませんでした。「新書」の方が、構成も内容もページ数も圧倒的に優れていると思います。出版社も、外国の出版物をそのまま翻訳するのではなく、著者から許可をもらって「新書」にリライトするべきと思います。
ところで、「文章」と「文書」は、どのように使い分けていますか?
これまた調べてみると「文章」は「文」の集まりで、「文書」は文を書いた媒体 と言う説と、「文章」は私的な文で、「文書」は公的な文 と言う説もありました。ネットワーク時代、ウンチクのたまり場となっています。
結論から言うとビジネスシーンでは「文書」を書く。その書き方は「パラグラフ・ライティング」の手法で書く。しかし、最も重要なことは「何を」書くかに尽きるのではないでしょうか。昨今、あまりに軽々にハウツーに傾倒しすぎている気がします。