ポジティブルールとネガティブルール

【ポジティブルール】とは、そこに書かれている事を必ずやりなさい、というルールです。 【ネガティブルール】とは、原則として絶対やってはいけないことが書かれていて、それ以外のことは自由にやってよい、という考え方のルールです。
この考え方は、特に「食品」で有効なようだ。というのは、かつてはネガティブリストによって「使ってはいけない」薬剤のリスト以外の添加物は使えることになる。翻ってポジティブリストであるなら「リストのモノなら使っていい」と指示できると、新しく作られた添加物は使えないことになる。
一方、たいていの軍の行動規範はネガティブリスト的なのに対して、我が自衛隊はポジティブリスト的だと言われている。
ポジティブルールは「やっていいことが決まっている状況」で、ネガティブルールは「やってはいけないことが決まっている状況」。
戦闘場面で考えたら、流動的に変化している状況の中で、「やっていいこと」のみしかできないとすると、その判定ができない場合は上層部に尋ねないとならなくなり、即応性がなくなる。
逆に、「やってはいけないこと」以外は、現場が臨機応変に判断できるならかなり行動や判断に自由度が増す。
日本の教育現場では「ポジティブルール」で教師はがんじがらめになっており、臨機応変な対応は学年主任から叱責面罵される。しかし、海外の教育現場では教師の裁量に自由度があり、「ネガティブルール」に抵触しなければクラスに合わせた授業の進め方が許されている。
ポイントは生徒の学力を向上させるのが教師の役割ということだが、日本では、隣のクラスと同じことをしなければならないという硬直性がある代わりに「逸脱」もなくなる。
ありていにいうなら、教師の能力を信じていないことになると同時に、学年に同質の教育をすることが「平等」であるという狂信的な心情に基づいている。
とはいえ、何人かの有能人材を集めてネガティブルールで仕事してもらう内に、だんだん、経験が積み重なりルールが積みあがってくる。そのうちに、いつのまにかポジティブルールが増えていることになっていくのは通例である。
「再生の道」では、ネガティブルールは「2期8年」のみで、結果としての目標は「政治屋の一掃」と「政治人材の流動化」になる。
これが2期8年から長じてくると、「政策」というポジティブルールが増えだし、集団としての拘束が増加することで一つには硬直の度合いが増してくると同時に、年功のような「既得権益」が生まれる。
さらに悪いことに、組織としての「権力」を持ちだすと、そこに摺り寄る団体が自己の利益のために金銭的奉仕をすることが当たり前になり、いつの間にか政党は多かれ少なかれ「自民党化」していくことは世の常である。
結果として、リスクを取らないのに権力だけを持つような、そこいらここいらの閉塞したような組織になってしまう。
2期8年がいいのか3期12年がいいのかはわからないけれど、12年も政治というぬるま湯につかっていると、次のステップには進みにくくなるかもしれない。
議会は教育の場ではないというまことしやかな意見もあるけれど、議会の本義は、イノベーションを求めて議論する場ではなく、執行部の企画と予算が適正であるかを審議するのが本義なので、その批判は当たらない。