リモートワークは終わりか
アメリカのアマゾン社は来年1月から従業員に原則週5日、職場に出勤の要請を明らかにした。同様にフリーアドレスもやめる。現時点でマイクロソフトを除き、米国GAFAMはフルリモート勤務は廃止している。
日本企業でも、2020年5月に31.5%だったリモートワーク率は、2023年7月に15.5%まで低下。ホンダは原則週5日出社でリモートワークは廃止した。
データによると、一部の優秀な人を除くと、大多数の人にとて効率が劇落ちしていることが明らかになっている。リモートワークはサラリーマンには向かない就業システムで、眼帯はフリーrタンスや自衛のような気概が前提となる仕組みであった。
極端なことをいえば朝出てきて夜に変える間の就業時間を、それらしく潰せれば給料日に給料が振り込まれることをもって良しとしているのがサラリーマンの基本的な習性である。
ということは、朝出てきてタイムカードを押して、帰るときにタイムカードを押すことが、ミッションであってその間、何かしていればよかったのが、タイムカードがなくなると起点と終点が見つからなくなってしまったわけである。
もともと、帰属意識なんて言うのも、給料との引き換えでしかなく、コーポレート・アイデンティティなども給料次第でしかない。その給料は自分の能力や貢献の見返りではなく、時間の拘束との引き換えでしかないと思っていた。
「雇用の流動化」や「ジョブ型雇用」の根底にあるのは、サラリーマンではなく、一匹狼のようなフリーランサーになっていく。先進国で日本だけがやっている終身雇用や年功序列も、徐々になくなっていく。
給与は、「その仕事」に対して支払われるようになる。「その仕事」をしている限り、昇給は基本的になくなる。給料を上げるためには能力とリスクをあげて上を目指す以外になくなっていく。
資本主義とは「欲」をお金に換える仕組みである。少しでも安く仕入れて、少しでも高く売るのが資本主義の基本である。年功序列には、資本主義の目指すものと合致していない。
安穏として就業生活を送るためには「世襲議員」になる以外にない。が、その世襲になるためにも起点となるためには、それなりの能力と努力が必要となってしまう。
自分が起点となるだけの気概がないのであるなら、目指すべきは「公務員」が最良の選択になる。