レトロと歴史
町名で言うと「東上野」となります。
赤丸のあたりの歩道に設置されている「井戸」の鋳物です。
どちらにも「TRADEMARK」と「特製」とあります。マークが違うから別の会社が作った井戸のポンプです。輸出用だったのでしょう。おそらくはアメリカ向けでしょうか。
歩道に設置されているので、かつて現役の井戸だったとは考えにくいです。ということは置物として設置しているのかもしれませんが、それには道路の管理者が許可しなければ、軽々に設置はできないように思いますが、なんとしても「郷愁」を感じるだけではなく、むしろ「斬新さ」を感じます。
なぜ、こうしたポスターや鋳物に「なつかしさ」を感じるのか生成AIに尋ねてみました。
「過去の記憶との結びつき」「安定感と安心感」「理想化された過去への憧れ」のような答えが返ってきました。
レトロなものは時代を超えて変わらない普遍性を持っています。その安定感や安心感が、私たちに心地よさをもたらし、郷愁につながるのかもしれませんとのこと。理想化された過去への憧れが、レトロなものを魅力的に感じさせるのかもしれない とのこと。
川越や佐原のような江戸時代をほうふつとさせる街並みにも「郷愁」を感じますが、その理由を尋ねても今一つ、なるほどとは思えませんでした。
現代とは、紫式部や藤原道長のような人たちだけで作られているわけではない。歴史と言えば結局は信長、秀吉、家康にいきつくけれど、いかなる時代にも庶民がいて、貧民がいたが、取り上げる人もいないし、文字化する人もいないから歴史にはいたことにはなっていない。
「文字に書かれなかったことはなかったことだ」とはいうけれど、飛鳥天平から令和までの時代を生きていた「庶民」の総意が、そこかしこに反映されて今がある。レトロな物品には、どの時代かはわからないけれど、その時代を生きた人々の生きた痕跡に懐かしさが投影されているような気がする。