「仕事ができる人」と「政治家」

Windows10が期限がきてサポートが停止するとのこと。で、パソコン自体も買い替えが必要だというのに暴動も起きていない。
メーカーサイドの都合なのだから、セキュリティに関しては、あと数年は続けるべきである。
AWSも似たようなもので、OSのバージョンが変わるとか、データベースがどうしたPHPがどうしたと言ってくるが、使用者にとっては何のメリットもない。技術的サポートしているほうは大変かもしれないが、ユーザーにとっては全く関係がない。
毎日毎日、糞メールが大量に送られてきている。何が目的かは知らないけれど、何かが破綻している。
裏にあるのは「邪悪」と「欲望」。
人間には「節度」というのがあるはずだった。
「節度(せつど)」は、物事を適切に行うことや、過度な行動を避けることを意味します。一般的には、自分を律し、バランスを保ちながら生活することを指します。例えば、飲酒や食事において、過剰にならないように気をつけることが「節度を持つ」ことです。また、人間関係や社会的なマナーにおいても、過度な振る舞いや行き過ぎた態度を避け、適切な距離感を保つことが求められます。
しかし、この「節度」は動物界の方がきちんと守られている。人間は、アメリカに移住してバッファローを殺しつくし、先住民を手ッて的に虐殺・迫害した。アフリカの肉食獣は、餌となる動物を殺しつくしはしない。
「過度」「限度」「バランス」という、動物本来の尺度は簡単に「欲望」によって歯止めがきかなくなる。そこで宗教やら道徳やら、果ては訳の分からない「哲学」などを持ち出してしたり顔をする。
「権力」なども、実は過去の遺物になっていくと思う。なぜなら、「権力」によって「阻害」されることは限りなく多いが、「権力」によって「活性」したり「活発」になることはおよそ起こり得ない。
つまり、「権力」を持ちたがるのは多くの場合は「爺」と相場が決まっている。それも、比較的頭の悪いのに限っている。政治家を見ればよくわかる。「爺」になっても君臨したがる政治家は、ほとんどが頭が悪そうである。つまり、頭と品性が悪い人間に限って「権力」を志向するということが人間の摂理のようだ。
日本の組織は「権力」の階層構造になっているためイノベーションが起きない。なぜなら、権力を志向する頭の悪いのが権力を握って、世の中を分かったつもりで君臨している限り、末期の徳川幕府のような組織構造になっているからだ。
そのうち、賢い組織が「権力」「欲望」構造を破棄するあたりから、開明的組織構造になるのかもしれない。
しかし、前例を見る限りでは幕府の権力爺から薩長の権力爺に変わっただけで、思いっきり敗戦したら、それが腰抜けになっただけで構造は変わらなかったのが、この停滞を生んでいる。
Windowsでさえ、ソフトの入れ替えではだめでハードそのものを入れ替えろということだ。つまり、与党がどうの、野党がどうのではなく、霞が関の役所を「ハード」ととらえてスクラップにする時期が来ているという示唆と受け止めて、まず、政治家の選別をし、その勢いで役所の解体に着手するべき時期が来ているということだ。
実は、お役所という「ハード」を解体すれば、「ソフト」を担う政治家はなりたい奴にやらせておいても、さほどの違いはないように思っている。
石丸伸二さんが言うように「仕事ができる」人であるならばの話であるが。そういう人が政治家にならなかったのは、政治家になりたがるほどに頭が悪くなかったからでしかない。