二つの思考

例えば、「夫婦別姓」といえば、「賛成」と「反対」がある。で、それぞれに理由がある。LGBTqに対しても同様。右か左か? 白か黒か? YesかNoか?

これはコンピュータの動作原理にも似ている。俗に「デジタル」と言われている。デジタルじゃないと「アナログ」と言われる。デジタルも「0」か「1」かで、その後の処理をするのだけれど「曖昧」じゃないという。アナログは「曖昧」であるということになる。デジタルとアナログも2つの価値分類になる。

量子コンピュータの動作原理は、いくつかの解説を読んだだけではデジタルなのかアナログなのかがすっきりと理解できない。

自民党の総裁選では9人が立候補して論戦を戦わせている。で、結局は過半数を単独で取らない限り上位2名で争うことになる。つまりは、AさんかBさんか。

しかし、我々が投票する国政選挙では清いか清くないかは別として「1票」だけが与えられている。小選挙区で1つの党の候補者が選ばれる。小選挙区で選ばれなかったということは、選挙区の有権者が「NO」と言ったのに、比例で復活することもある。有権者が「NO」と言ったのに政党が無視をする。

小選挙区での選択はデジタル的というなら、比例はアナログ的だと言えそうだ。

文書管理でファイリングというのがあって、文書の分類において「ツミアゲ」と「ワリツケ」というのがある。ツミアゲとは帰納法的な分類方法で、ワリツケとは演繹法的な分類法になる。

ワリツケはルールありきなのでデジタル的と言える。それに反してツミアゲはアナログ的であるがゆえに曖昧性を内包する。ワリツケには制御できる役割が無ければルール以外が多出して破綻する。ツミアゲは主観判断が入るから時間の中で破綻する。

国家には法律がある。順法の中に自由が保障されている。脱法すれば自由は拘束される。となると、法を守るか守らないかも二択になる。

病気と健康で考えると、健康からいきなり病気になることは少なく、全くの健康から0.1、0.2、0.3と病気が忍び寄ってくる。気が付いて(自覚)初めて病になる。

つまり、何がいいたいかというと、およそ全てにおいて虹のように段階があるということ。紫外線からいきなり赤外線にはならず、可視光も赤から紫にはならない。

そこで結論。荘子は「是」と「否」を両行せよという。ヘーゲルは「テーゼ」と「アンチテーゼ」を超越することを「アウフヘーベン」として「矛盾する諸要素を、対立と闘争の過程を通じて発展的に統一する」という。

性はオスとメスしかないというのは外形的な判断でしかなく、三毛猫のオスの染色体は「XXY」であることが多く、「Y染色体」を持つがゆえに外形的にはオスになっているが、多くの場合は生殖能力を持たない。

荘子は、すべての多様性を包含することで「一(イチ)」になると言っているが、イスラエルはレバノンと戦おうとしているし、ロシアはウクライナに侵略している。中国は台湾を中国の「一」だと主張している。

アメリカはロシアのウクライナ侵攻は「NG」だと言いながら、イスラエルのガザ進行やレバノンへの一方的殺戮には「NO」とは言わない。量子コンピュータのエラーのような態度だ。とはいいながら、国連はどういう枠割を担っているのだろうか。

日本は国連に2.5億円(約360億円)拠出している。国連自体の予算は36億ドルだそうだ。つまりは、5220億円世界中からかき集めて、自称利口な人々を養っているけれど、それ以外にどれだけ役に立っているのかは不明だ。