人を殺してはいけない理由

刑法には殺人を犯すと罰すると規定されていますが、その理由は書かれていない。「自分が殺されるのが嫌だから他人を殺すのはいけない」「取り返しがつかない」というような説明が多い。

片方では、イスラエルのように軍隊を近代化できた国が、近代化できていないパレスチナの民衆に対して、その民衆の中に何人かのハマスが潜行している前提で大量殺戮をしても、保安官であるアメリカはイスラエルを支援している。

ウクライナという主権国家にロシアが突如として踏み込みミサイルを撃ち込み、戦闘機や爆撃機で攻撃を加えているけれど、経済制裁はしているけれど、その傍らではいまだにロシアのエネルギーも買っている。

国連から脱退させるどころか、いまだに常任理事国でい続けている。

「殺してはいけない」以前の問題のようであるけれど、国家の首脳陣や国連などのエリート官僚は平然としている。

ノーベル平和賞を授賞した日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の代表委員が、授賞式で日本政府が原爆で亡くなった人に対する国家賠償を「拒んでいる」と語ったことに対して日本政府の官房長官は「戦災により亡くなった一般の方々と同様に給付などは行っていない」とした。

また、「原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が、他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることに鑑み、高齢化の進行している被爆者に対する保健医療や福祉にわたる総合的な援護対策を講じている」とも語っている。

「原爆で亡くなった人に対する補償」に対して「戦災により亡くなった一般の方々に対しての補償だってしていない」から当然だというような見解。

しかし、誰が戦争したのかと言えば、日中戦争に関しては日本国天皇の詔勅はなかったが、太平洋戦争に関しては天皇の名のもとに開戦している。天皇は民主的に選ばれているわけではないから国民の総意だとはいいがたい。

冒頭で、自分が死ぬのは嫌だから、自分が他人から殺されることも嫌なことになるが、軍人は別の扱いになる。なぜなら、国家のためには死をいとわないのが軍人であるからだ。ただし、徴兵された兵隊も同類に扱うのは不憫でもある。

しかし、一般の民衆が死ななければならないのは、戦争回避ができなかった政府の責任も少なからずある。とはいえ、戦地は別として日本本土で実際に殺害したのはアメリカである。

ということは、戦災で死亡した一般国民の死に対して、戦争だからと言って見ぬふりをするのではなく政府が賠償し、その賠償をアメリカに請求するのが筋のような気がする。

トランプが大統領になって、ウクライナでの戦争をどうやって決着するのかはわからないが、クリミア含めてロシアは不当に占領した地域を返却することが第一歩となるのは当然である。

つぎは、今の先頭地帯を中立化して国連軍が緩衝地帯として警備する。

戦闘で破壊されたインフラや建物の復興は、勝手に攻め込んだロシアの金で賄う。賠償が完済したら経済制裁を徐々に解く。賠償の中にはウクライナの軍人を除く一般国民への死傷も含む。

こうすることで理不尽な戦闘行為に対する大いなる抑止力となるだろうけれど、日本を含めてロシアやイスラエルやアメリカが了承するかは不明であるが、殺されたくないから殺してはいけないという刑法の理念が理に適う。

国家が戦争をしたら、人を殺す。人を殺したら賠償を担わなければならない。よって経済合理性から戦争をするべきではないというまっとうな理論が成立する。日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の代表委員の主張は、原爆被害だけに限定するべきではなく、戦争被害にあった民間人全てに国家が保障するべきことである。