人工甘味料

昔の三ツ矢サイダー(と言っても昭和30年初頭のころ)は瓶で売っていました。「全糖」が25円で、全糖じゃないのが15円だったような記憶があります。

そこで、全糖じゃないのを買ってきて砂糖を入れて飲みました。砂糖を入れると泡がドバっと出ましたが、それなりにおいしかった記憶があります。

昭和30年の平均寿命はおおよそ65歳程度でしたから、ちょっと人工甘味料使ったからといってどうということもありませんでした。昭和40年の男性喫煙率は80%を超えていた時代です。

ヒロポンを買うために血液を売っていた時代でもありました。

大きくなって分かったのは「全糖じゃない」ものは人工甘味料だったわけです。戦中は砂糖が入手困難になり戦後(昭和27年)砂糖の統制が撤廃されたものの、圧倒的に人工甘味料が使われていました。昭和42年に「ヅルチン」、昭和44年に「チクロ」が禁止になりました。

サッカリンというのもありますが、これは日本では使用量制限がありますが、アメリカでは普通に使われているようです。

商人も役人も健康被害という考え方が、戦後になってアメリカから導入されたということなのでしょう。

よって、頑是ないワラワが15円で買ってきて砂糖を入れて飲んでいたサイダーはズルチンかチクロなどの人工甘味料だったわけです。

サイダーにも歴史があって、

英国人ノースレー氏であった。同氏は1863年(文久3年)に伊豆下田へ着き、やがて横浜・本町通り61番館で「ノース・アンド・レー商会」と称する薬種商を開業し、1868年(明治元年)に同商会の裏手に工場を建設し、ラムネ、ジンジャーエール、レモネード、ミネラルトニック、シャンペンサイダー等13種類ほど製造し、これらの製品は殆んど在留の外国人、外国から来航する艦船の人々で、日本人では上流階級や地位のある人以外は飲用するものはいなかった。

清涼飲料よもやま話

サイダー(英語Cider)の語源はシードル(Cidre、フランス語でアップル(リンゴ)果汁の発酵洒)からでた現代語といわれているそうです。

三ツ矢サイダーは1905年(明治38年)「天然ガスヲ含メル東洋唯一ノ純良鉱泉ナリ」とラベルに記載した三ツ矢平野水(現兵庫県川西市にあった平野工場)として1884年(明治17年)発売したのがルーツだとか。

で、これ等の話はよもやま話で、Newsweekに東洋経済オンラインからの転載記事があって、人工甘味料の危険を訴えています。缶コーヒーやスポーツドリンクに使用されている「アセスルファムK」や「スクラロース」が添加されていて、これを極力摂取しないほういいとのことです。

体内に取り込まれて分解されないはずなのに、体内に摂取され尿中に排出されているようなので、塩素が体内をめぐっていることになります。

100%果汁ジュースとは、海外で果汁の水分を蒸発させ、それに水を加えて元の状態に戻しているのですが、その過程で香りが無くなってしまうので香料(人口の化学物質)を足しているようです。

ようするに

コンビニで売っているのや自販機で売っているものには、何か人工的なものが入っているわけです。それぞれの使用料では問題が起きないのでしょうけれど、複合され蓄積されていけば、いずれは、なにかの直接的な原因にはならなくても、きっかけ(トリガー)になる可能は十分にあります。

天然のものだからと言っても農産物には農薬が使われていますし、化学肥料も使われている。その土壌には何らかの手が加えられているわけです。空気にだっていろいろな化学物質が入っています。

畜産だって抗生物質も使うでしょうし、遺伝子組み換えの飼料も食べさせているでしょうし、予防注射も打っているでしょうし、科学的な手を加えているでしょう。彼らは儲けるために生産しているのですから。

すべて天然にすれば安全かと言えば、それもきっとそんなことはないわけで、病気になれば化学物質で治療してもらうことになります。

要するに、いずれは死ぬわけで、その死に方は、楽に死ねるか、のたうち回って死ぬかの違いでしかありません。苦にならない範囲で、できることをしていくしかないわけです。

不摂生の限りを尽くしても長く健康に生きる人もいれば、摂生の限りを尽くしても重篤な病に罹患する人もいるわけで、どう生きるかは受動であれ能動であれ、成るようにしか成らないということのようです。