人生に必要な「5つの問い」

ハーバードの先生が2016年の卒業式で行ったスピーチだそうです。今に至るまでの間の卒業式で感銘を受けたスピーチというのは聞いたことがありません。偉い人のスピーチとは、単に子供にじっと我慢させるだけの「忍耐」を見つけさせるためのものだと思っていました。

1.「Wait, what?(待って、どういうこと?)」
2.「I wonder...?(~なのはなぜだろう?)」
3.「How can I help?(どんな手助けをしたらいいだろう?)」
4.「Couldn't we at least...?(少なくとも~できるのでは?)」
5.「What truly matters?(本当に重要なことはなんだろうか?)」

教師が教壇の前に立って、ただ事実を並べ立てるよりも生徒が自らプロジェクトを考えさせ、それを完遂させていく学習方法のほうがずっと効果的であるとのこと。生徒の大半は、生まれつきある程度の好奇心を持っている。学校が真にやるべきなのは、その好奇心を潰さずに伸ばしてやること。

まさに、今の日本の教育にかけている最大のポイントが示されている。今の日本の教育方法は、生徒のためというよりは、先生のために仕組まれているような気がする。能力とやる気にばらつきのある教師に、いかにして均質な「教育」を施せるかにウェートが置かれている。

子供たちの好奇心と能力を見極めるのが義務教育機関であるべきで、中学から先の教育は子供たちの特性を延ばす振り分けをしていくことが、生きる意味に直結していくことであり、日本を再生していくように思う。

子供たちの好奇心はたぶんにメディア(テレビラジオよりはSNSなどのネットツール)を通じて形成されていくことが多いかもしれない。好奇心のママに進むことが必ずしもいい結果につながるとは言えないかもしれないが、それはその都度修正していくことを教師を含め社会が導いていけばいい。

大学受験のための高校3年間は、学問向きの子以外には、あまりに無駄な気がする。

この「かりくら」は、かなり痛んでいたものを修復した。「寒月」という作品の、漱石による評価は「今年の《寒月》も不愉快な点に於いては決してあの鹿に劣るまいと思う。屏風に月と竹と、それから狐だかなんだかの動物が一匹いる。その月は寒いでしょうと云っている。竹は夜でしょうと云っている。ところが動物はいえ昼間ですと答えている」とのことですが、前年の作品に対しても「あの鹿は色といい眼付といい、今思い出しても気持ちの悪くなる鹿である」と、かなりの酷評。

この絵を書いた木島桜谷は、幕末の絵師の末裔ではあるけれど、「下京区高等小学校を経て、京都府立商業学校予科へ進むが、簿記や算術に興味を持てず中途退学」して、絵師の道を邁進している。

幼少期にこそ、スペシャリストの道を邁進させ、ある程度の年齢になってから一般教養を身に付けさせるような教育方法に変えていくことが日本を豊かにしていくように思うのです。