刑法92条を考える
第92条
- 外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者は、2年以下の拘禁刑又は20万円以下の罰金に処する。
- 前項の罪は、外国政府の請求がなければ公訴を提起することができない。
さて、外国の国旗を毀損すると最悪、拘禁されるか罰金を払わなけれㇾばならないのに、日本国旗を毀損しても罪に問われることはない。と、いわれれば、何か不思議な気もするが、戦前は、国旗と言えば御真影同様に扱わないと憲兵や特高警察に捕まってえらい目にあわされたという歴史的背景がある。
国旗と言っても、考えてみれば単なる布切れに過ぎない。そこに、神がかりの神聖な「崇敬」「尊崇」のような精神性を求めることを国家が強制してもいいのかの判断は難しい。ただし、外国国旗となると、そのような神がかりの神聖な「崇敬」「尊崇」を国民に強制している国もあるので、とりあえずは国法として禁止している。
例えばコーランを毀損して命を狙われるようなことも事実としてあるので価値観は多様であることを認めておこうとする折衷的・妥協的な解釈によるともいえる。
ちなみに、アメリカでは国旗を毀損すること自体は罪に問われない。アメリカ合衆国最高裁判所は、国旗の毀損(焼却や破壊など)は表現の自由を保障する合衆国憲法修正第1条によって保護されている。
狭量な視野から考えてみると、右に傾く一歩ともいえなくはない。ようは、国民の総意がどっちに傾くかでしかないので、それまでは現状のままでもいいような気がする。
ちなみに、ChatGPTに聞いてみた。
1. 表現の自由との関係
日本国憲法は表現の自由を重視しており、国旗の扱いに関する法規制は表現の自由との関係で議論が続いています。特に、国旗を毀損する行為が政治的な意思表明や抗議の手段として使われる場合、それを刑事罰で処罰することは憲法の表現の自由の規定と矛盾する可能性があるという見解が存在します。
2. 歴史的背景
戦後、日本は国旗や国歌に対する法律を慎重に扱ってきました。第二次世界大戦後、日本は軍国主義から脱却し、平和主義国家として再出発しました。このため、国旗に対する強制的な保護や義務化は避けられ、むしろ個々人の自由に委ねる方向が取られました。これは、国旗や国歌が戦時中に国家主義的に利用された過去を踏まえた慎重な対応と言えます。
3. 外国国章損壊罪の目的
刑法第92条の外国国章損壊罪は、主に国際関係を保護するために設けられた規定です。外国の国旗や国章を損壊する行為は、その国との外交関係に影響を与える可能性があるため、処罰の対象とされています。一方で、日本国内における日本の国旗に対する損壊行為は、国際関係に直接の影響を与えるものではないと考えられています。
4. 社会的なコンセンサスの欠如
日本国内では、国旗や国章に対する特別な保護を設けることについて、社会的なコンセンサスが完全に形成されていません。一部では、国旗に対する尊重を法律で強制するべきだという意見もありますが、他方では、国旗の扱いは個人の自由に委ねるべきだという立場も存在します。このため、国旗に対する刑事罰を規定する法整備が進んでいない状況です。
私見
これらの要因が重なり、日本の国旗に対する損壊行為を直接的に規制する刑法上の規定が存在しないと考えられます。つまり、国旗や靖国神社は、個人の持つべき考えにとどめるべきで、少なくとも公人が、このあたりに入れ込むと嫌がる人がいると同時に、喜ぶ人もでる。
つまり、色を濃くすると「是」の色が濃くなるのに合わせて「否」の色も濃くなって、結局は国内が2分化してしまう。右傾化がブームと言うけれど、欧州の右傾化の背景は移民なので、日本の右傾化とは素性が違う。
日本の右傾化の、その先にはどうしても、ご本人の意思にかかわらず「天皇」が見え隠れしてしまう。
そんな精神論が前面に出てくるより政治家は、まず、経済を最優先にして欲しい。国民の実質手取りを上げるためには消費税を下げるのが一番簡単で、その財源をどこかから見つけてくるのが政治家と財務省の仕事である。実に簡単なことができない政治家と官僚は、単に愚か者の高給取り集団でしかない。